11月20日「油注ぎ」

 仕事とは、わたしたちが聖霊によって油注がれ、神の御業に参与することである。イエスがナザレの会堂で立って語ったことは、イエスがこれから働こうとすることと、如何にしてそれを進めようとしているかということであった。イエスは次のように言われた。「主の霊がわたしの上におられる。主がわたしに『油を注がれた』からだ。」(ルカ4章18節)

 聖書に出てくる「油注がれた」とは「神によって仕事が与えられる」を意味する。それは雇用を意味する。つまり、わたしたちは事実上「なすべき仕事がある」ということ、「その仕事にわたしたちは任命された」ということ、そして「わたしたちはそれが出来るはずだ」と聞かされている。「油注ぎ」こそ、神の御業とわたしたたちの仕事をつなぎ合わせる秘跡である。神は働く。神は造られる。神は物ごとを為す。神は「おられる」。でも、神は「行動もする」。さらに、神の御業を通して、わたしたちは神がどういうお方であるかを知る。
 

イエスは言われた。…… わたしは父のもとに行く、わたしが行ってきた同じ業をあなたがたに与えよう。
 ―― ヨハネによる福音書14章12節b

 *引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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