死は一般に好まれる話題ではない。わたしたちが住んでいる社会は死を無視することを特徴としている。これは異常なことである。この地球の上に住んでいるほとんどの人々は死に強い関心を抱いているからだ。よき死を迎える備えこそが、人生の終わりを受け入れることだった。それは数世紀にわたってそうだったのである。ただ、わたしたちの世紀は例外である。詩編90編こそが、数百万人のクリスチャンが死を迎える備えの一部となってきたのだ。
わたしたちは 七十路ななそじの あるいはさらに 年月を生きる
(運がよければ 八十路の日々か)
わたしたちには功績として見せられるものの
何があるのか? 問題だけだ。
労苦と問題と墓の碑文などだ……。
なんたることか!
よき生き方を 賢い生を わたしに教え
導きたまえ
―― 詩編90編10~12節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。