聖書を「霊的道具箱」と捉えてしまうと見当違いがおこる。色々な物を取りだし、それを自分のために使う、そのように聖書を利用することは出来ない。なぜなら、「神の御前に立つこと」が霊的生活のすべてのプロセスである。神は生きており、神の御言葉を通して現臨し、御言葉を通して創造し、贖(あがな)う。わたしたちが聖書を使うのではない。神の御心がわたしたちの中に働くように、神が聖書を用いられる。
イエスは言った。
「あなたがたは、永遠の命が見つかると考えて、
いつも聖書に没頭している。
そして、木を見て森を見失っている。
聖書は全て『わたし』について書いているのだ!
わたしはここにいる。わたしはあなた方の前にいる。あなたがたは命を欲しいと言っている。
ただ、その命を、わたしから受け取りたくないのだ。」
―― ヨハネによる福音書5章39~40節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。