10月27日「御言葉に『聴く』ことを学ぶ」

 聖書を「霊的道具箱」と捉えてしまうと見当違いがおこる。色々な物を取りだし、それを自分のために使う、そのように聖書を利用することは出来ない。なぜなら、「神の御前に立つこと」が霊的生活のすべてのプロセスである。神は生きており、神の御言葉を通して現臨し、御言葉を通して創造し、贖(あがな)う。わたしたちが聖書を使うのではない。神の御心がわたしたちの中に働くように、神が聖書を用いられる。
 

イエスは言った。
「あなたがたは、永遠の命が見つかると考えて、
いつも聖書に没頭している。
そして、木を見て森を見失っている。
聖書は全て『わたし』について書いているのだ! 
わたしはここにいる。わたしはあなた方の前にいる。あなたがたは命を欲しいと言っている。
ただ、その命を、わたしから受け取りたくないのだ。」
 ―― ヨハネによる福音書5章39~40節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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