「スピリチュアリティー=霊性」は信徒の間で多くの関心を惹いている。つまり、スーパーを経営したり、子育てをしたり、トラックを運転したり、食事を作ったり、車を販売したり、雨の中でパンクを直しながら神を信じている人々、試験に向け勉強しながらも敵のために祈っている信徒の人々の間でスピリチュアリティーへの関心が高まっている。
現代のスピリチュアリティーは「焦点」と「正確さ」「源泉:ルーツ」をひどく必要としている。つまり、キリストに焦点を合わせ、聖書に正確で、そして健全な伝統や源泉に根づくことが特に必要とされる。軽佻浮薄(けいちょうふはく)な現代において、福音的なクリスチャンはもう一度そのような「焦点」「正確さ」「源泉」を提供して、教会に仕えなければならない。これらの奉仕を教会に供える役割が平信徒に任せられていることは、決して教会にとって壊滅的なことではない。福音主義の強さと影響力はしばしば平信徒の中にあった。その強さと影響力は教派間の分裂を超え、既成の組織を転覆し、裏方で働き、そして底辺から始まっている。
友よ、わたしに最後まで忠実でいなさい。同じ道程を走っている人々を絶えず注意していなさい。その人々は、同じゴールを目指して走っているのだ。他の道を選び、他の神々を選ぶ人がたくさんいる。その人々は、何とかしてあなたを同じ道に誘おうとするだろう。その人々について、あなたには何度も警告してきた。悲しいことに、再度、今わたしはこの警告をしなければならない。その人々は、安易な道を望んでいる。キリストの十字架を嫌う。しかし安易な道は袋小路なのだ。
―― フィリピの信徒への手紙3章17~19節a
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。