8月27日「神は何をしているのだろうか?」

この世界の中で、神は一体どんな存在なのか。神がこの世で何を遂行しているのか。この世界を見るなら、目もくらむようなイメージが継続する中で、それは今もわたしたちに明らかにされていることが分かる。以前から確認されてきた色々な方法で、神はこの世を創造したのだ。わたしたちの目と耳が確認できるあらゆるものを超越するエネルギーをもって、あるいはわたしたちの見たり聞いたりした全てのことを凌駕(りょうが)する美しさの中で、この世界は作られたのだ。生まれてから死ぬまでの間、わたしたちが遭遇するもの全ては、「ただそこにいる」というものではない。それは神の素晴らしい創造の成果である。全ての名詞の背後には動詞がある。「創造した」という単語こそ、宇宙における最初の言葉、聖書における最初の動詞である。神はわたしたちが願ったり理解できるものを遥かに超える忍耐と知恵をもって救う。神の救いの手段とはわたしたちが発見できる領域を超えている。わたしたちが朝一に目を開けるときから、一日の最後に床についてその目を閉じるまでの間に会う人の中で神による「形成が完成し尽くしている人」は誰一人もいない。

わたしは新しく創造された天と地とを見た。
最初の天は去った。
最初の地は去った。
最初の海は去った。
わたしは、聖なる都エルサレムを見た。
新しく創造された天から降りてきて輝いていた。
それはまるで夫のために着飾った花嫁のように、
神のために用意を整えた。
―― ヨハネの黙示録21章1~2節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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