8月26日「神について明示する書物」

 多くの読者がヨハネの黙示録と取り組んできた方法はヨハネ自身が顕現(けんげん)する天使たちと取り組む仕方と似ている。ただ、ヨハネの場合は天使によってすぐに叱責されたことを留意しているのだが、そうしたことは黙示録の読者には見られない。それは、神のメッセンジャーなしに神を礼拝することは難しいからだ。それで人々は、黙示録のあらゆることに興味を抱きながら、神を無視してシンボルを探し求めて自分を見失い、数字に好奇心をそそられ、時期や季節などに熱狂的な想像を巡らせる。実に、イエスもそうした推測に厳しい言葉を述べている。(使徒1章7節参照)多くのインテリの人々や信心深い人々が天使を前にひれ伏してしまい、イエスの𠮟責に耳を傾けない。それは残念かつ許しがたいことである。神のことを、ヨハネの黙示録は明確に述べている。それ以上に明らかにしているものはない。この書はイエス・キリストの啓示を述べるのであって、世の終わりや、反キリストの特定、あるいは歴史の予定表を示すものではない。この書で用いられる「わたし」とは疑いもなく、この書の全体を通じて、次のことを明示する。つまり、イエス・キリストは主であること、イエス・キリストは神であること、イエス・キリストは、一人称で「イエスは誰であるか」を語ること([わたしはアルファでありオメガである]と、開口一番で宣言させている)である。キリストへの信仰を介さなければ、この書にあることの一つも理解できない。キリストの主権を離れては、一切が無意味となる。厳密に神学的な事柄だけが、この書の中に記されているのだ。

イエスは彼らに言われた。
「その時期についての情報を、あなたがたが得ることはないだろう。その時期は御父がお決めになる。あなたがたが得るのは、聖霊なのだ。」
―― 使徒言行録1章7~8a節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
書籍のお求めは、ヨベルオンライン公式ストアアマゾンストアで

この記事もおすすめ