8月22日「命と……死」

 聖書の最初のページを開くと、神が命を創造したことを読むことができる。二ページには、わたしたちは男と女が死を選んだことを読む。歴史はアンティフォニー【二組の合唱が応答形式で歌う詩(交唱歌)】によって、「命に向かう神の意志」と「死へと向かう人間の意志」を歌うのである。

 「命」という言葉は、聖書や深い想像力をめぐらした文学において、生物学的な実存を遥かに凌(しの)ぐ意味を持つのである。同様に「死」という言葉もまた、生物学的な機能の終局を遥かに超える意味を持つのである。命と死という、この二つの言葉の両方ともに、文字通りのニュアンスと形而上学的(けいじじょうがくてき)なニュアンスを豊かに持っている。このように、意味深長で突き刺さるような言葉使いを用いながら、聖書は「神の命の物語」と「人間の死の物語」を語る。

簡単に言えばこういうことだ。
一人の罪によって、
すべての人に有罪の判決がくだされたように、
一人の正しい行為によって、
すべての人が義とされて命を得ることになったのだ。
一人の人の不従順によって、
多くの人が罪人とされたように、
一人の従順によって、
多くの人が正しい者とされるのだ。
―― ローマの信徒への手紙5章18~19節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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