ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』(Moby Dick)に、暴風雨のシーンがある。追い風にのった捕鯨ボートが荒れ狂う海を飛ぶように進み、目標を追い詰めるシーンだ。その船が目指す目標は巨大な白鯨「モビー・ディック」である。漁師たちは猛烈な勢いで働き、その筋力の全てがはりつめ、全エネルギーを注ぎ込んで、任務遂行に集中していた。そこに善と悪との宇宙論的な闘争が加わる。すなわち、混沌とした海と悪魔的な海の海獣に対し、道徳的憤慨に駆られる船長エイハブが立ち向かう。この船の中に、なんと、何もしていない人物が唯一人いる。オールを持たず、汗もかかず、また叫ぶこともしない。激突と呪いのただ中で、無気力なのだ。この人物こそ、捕鯨銛の砲手である。彼は、静かに、落ち着いて、待っている。そして、小説はこう記す。「銛(もり)の効果を最大化するために、捕鯨銛の砲手という者たちは、かならず無為(むい)に過ごし続けた上で、おもむろに踏み出す。苦役からではなく、無為から緩慢(かんまん)から立ち上がるのだ。」
メルヴィルの文章は詩編やイザヤ書の御言葉と並行しておくべきものだ。つまり「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩編46編10節)と「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」(イザヤ書30章15節)という御言葉である。
神 唯一の方、ただ一人頼るべき方。
神が語る、その間、わたしは待ち続けるだろう。
すべての、わたしの必要は
ただ神からこそ 来るのに
なぜ、待てないのだろうか?
神こそ
わたしの足を 支える助け
わが魂の憩う所 休息はまさに そこにある。
―― 詩編62編1~2節a
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。