神とは天から行き巡る嵐のような暴君である。天国への侵入者を一人ずつ捕らえて炎の海に投げ込む怒りに満ちた専制君主である。 ―― このように語ることは邪悪である。
神とはおいぼれ爺さんである。この世のものとは思えないほど美しいロッキングチェアに腰を下し、目先のことしか興味を持たず、ただ居眠りをしてる。 ―― このように語ることは邪悪である。
神とは脅迫的に効率を追い求めてユーモアも全くない管理人である。宇宙をきっちりと管理し歴史から何かに取りつかれたように出来る限り高い成果を上げることだけに終始し、「この人は使えるか、どうか」という以外に人間について全く関心を持たない管理人である。 ―― このように語ることは邪悪である。
わたしたちが「神は怒りに満ちた専制君主である」と信じるならば、その時わたしたちは、可能な限り、自衛のために神を避けようとするだろう。
わたしたちが「おいぼれ爺さんである」と信じるなら、その時わたしたちは、超越の次元にある目標を失い、人生の日々をぞんざいに過ごし、つまらない人生を歩むことになるだろう。
わたしたちが「神は効率性のエキスパートである」と信じるなら、その時わたしたちは「機能性を問われる部品」に矮小化し、「人格」としての価値を決して認めようとしなくなる。そして、わたしたちは腹を立てる人生を歩むことになるだろう。
神について嘘をつくことは邪悪である。もし、わたしたちが神について間違ったように信じ始めると、わたしたちは自分自身についても間違ったことを考えてしまう。そして、わたしたちは意地悪いひどい人生を送ることになる。神について嘘をつくことは、現実を歪め、人生を堕落させる。人生の全過程に、損害を与えることになる。
わたしたちが会議をしている間に、スパイが潜り込んで来た。スパイはクリスチャンのふりをして忍び込み、本物のクリスチャンがどれほど自由であるか、探ろうとしていた。その連中の隠し持っていた本当の狙いは、わたしたちを連中の奴隷に貶(おとし)めようとすることにあった。
―― ガラテヤの信徒への手紙2章4節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。