ある一つの真理が焦点を絞った明快な宣言を必要としているときがあるように思う。わたしの場合には、1980年代に、そのようなことが起こったのである。「キリストにある自由」ということが、端的に、真理として迫ってきた感じであった。それから時間が経って、20世紀の終わりになった。キリストが生き、死に、甦(よみがえ)られてからもうすぐ2千年が経とうとしていた。その間、政治的、社会的な革命が続いた。それは「自由」を特徴としていたのである。この「自由」という特徴は、特に西洋において顕著だったが、しかし、それを閉じ込めることがほとんど不可能な状態であった。自由への渇望は非常に強いものであった。そして、どうなったのだろうか。わたしが牧師として共に生きていた人々を考えて見たい。 ―― まずまず豊かであり、高学歴で、キリスト信仰でも、ある程度は知識を持っている ―― そのような人々を思い出しながら考える。彼らはみな、自由からほど遠い様子だった。強盗から財産を守るために高価なセキュリティー・システムを購入していた。インフレの進行に直面して不安になり、もうどうしてよいか分からない状態だった。高度に組織化し発達した兵器と核兵器で満ちている世界の中にいるために「正義と平和を求めて挑戦しよう」という気持ちも萎えてしまう程に悲観的になっていた。委縮し、不安に駆られ、自己防衛的に生きていた。わたしは「違う!」と叫びそうになった。「そんな生き方をしてはいけない! あなたはクリスチャンなのだろう! わたしたちの人生は自由へ向かって成長するもの。不安に駆られて慎重になって引きこもるのはおかしいぞ!」と、20世紀の終わりに叫びそうになった。
だが、叫ぶのをやめて、わたしは日常の仕事を淡々と進めることにした。つまり、説教し、教え、訪問し、相談を受け、祈り、執筆し、励まし、進むべき道を示した ― さらに、わたしは一つ決意をしたのだ。「方法をさがそう」と決めた。「自由への憧れを失った人々が、再び自由な人生を渇望するように、目覚めさせる方法を探そう」と決めた。何時か人々に自由への渇望を呼び覚ますことが出来た時に、十分な「食事と飲料」を用意して、満足がいくまで自由を経験して欲しいと思った。
そして、そのように努力し始めると、次第に一つの確信を得るようになった。つまり「信仰生活において自由を経験すること」こそが「人間であること」の意味の中核にあるのだという確信を、わたしは益々持つようなったのだ。
キリストはわたしたちを自由な人生へと開放してくださった。さあ、立ちあがりなさい! もう誰からも、馬具のようなものをつけられて拘束され支配されることがあってはならない。
―― ガラテヤの信徒への手紙5章1節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。