朝の祈りは「見張ること」を中心に展開する。聖書によって耳を鍛えられた人は世界にあふれる物語を聞き取る。ヤコブ物語を見てみたい。義理の父ラバンから逃げていたヤコブは、ギレヤドで追いつかれてしまう。ラバンはヤコブに騙し取られたと思っていた。ヤコブはラバンを詐欺師と思っていた。ギレヤドで、喧嘩をして祈った二人は、一つの合意に至った。彼らは祭壇の碑を設置し、その御前で契約の食事をする。彼らはその祭壇の碑を「見張り場:ミズパMizpah」と名付けた。二人は互いに疑惑を抱きながらも注意し、互いに利用する好機を逃すまいと20年間も過ごした。二人はこのギレヤドで「互いに見張ることを止めること」に合意した。つまり「今後は神が二人を見張ること」で合意は成立した。朝早く、長年の敵対関係にあった二人は、ついに分かれて行く。 ―― ラバンはハランに戻る。ヤコブは彼の兄エサウの敵意に対峙すべくカナンに入って行った。 ―― その朝、二人の祈りがギレヤドに鳴り響く。「わたしの前にあなたはいなくなる。あなたの前に、わたしはいなくなる。わたしと、あなたを見張るのは主である」のだ、と。この「朝の祈りの場」を離れてすぐに、ヤコブは神の天使を見た。ヤコブは「ここは神の陣営だ」(創世記32章3節)と叫んだ。
朝の祈りを守る時、ほとんどいつも、わたしたちは「ミズパに引かれた境界線」を経験する。わたしたちは神の御前で「希望」と「畏(おそ)れ」を置く。それが朝の祈りである。その祭壇のささげもの・祈りの言葉を、神は一体どうなさるのか ―― わたしたちはそう思い、朝毎に注意深く目を凝らすのである。朝の祈りは、わたしたちを「見張る神」の御前に連れ出すことである。そこから、わたしたちは注意深く新しい一日へと歩み出すのである。危険な日が確かに過ぎさったこと、危険な一日に、天使の軍団がちていること。 ―― そのことをしっかり用心して、わたしたちは一日を始めるのだ。絶好調に!
目を覚ませ 眠りについた者たちよ
這い出してこい その棺から
キリストは光をあなたに照らすだろう。
―― エフェソの信徒への手紙5章14節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。