5月23日「未来」


 わたしたちは未来をどのように考えているのだろうか。その考えによって現在が形づくられる。つまり、未来をどう考えるかによって、その日その日の全ての行動と思考が、その輪郭と調子を獲得して行く。未来に対する感覚が弱いと、わたしたちは無気力に生きてしまう。多くの心の病や自殺は「未来がない」と感じている男女で起こる。

 キリスト教の信仰は、焦点を絞った強い感性を未来に向けて持つことによって、いつも特徴づけられてきた。つまり「イエスの再臨」への信仰が、キリスト教の最も特徴あるディテールとなっている。イエスが天に昇った日から、イエスに従う者たちはイエスの再臨を期待して生きてきた。イエスはその時に「再び戻ってくる」と言われた。弟子たちはそれを信じ続けている。クリスチャンにとって、未来を知り、信じることは最も重要なことである。
 
未来についての信仰には現実的な効果がある。それは、現在の一つひとつの瞬間を希望で満たす効果である。なぜなら、もし未来がイエスの再臨によって確約されているならば、わたしたちは自分たちの不安や空想を掻(か)き立てる余地など、どこにもないからだ。わたしたちの人生から雑然としたものが取り除かれる。そして、わたしたちは神の自由に、どこまでも自由に、自発的に、応答することが出来る。

これら全てのことを証言している方は、再びこう言う。「わたしはもう出発した。もうすぐ着くだろう」
はい、来てください、主なるイエスよ!
―― ヨハネの黙示録22章20節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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