5月19日「金の子牛の国」

 わたしたちの教会には、実は、偶像を購入しようと集っている人もいる。その人たちはショッピングモールに行く同じ気持ちで教会に来て、自分自身の喜びを求め、食欲を満たし、必要を満たし、そのために何か手に入れようとする。ジャン・カルヴァンは人間の心を「絶え間なく効率よく偶像を造りだす工場」と考えた。教会に集まる人々は、一般的に、牧師たちのことを「偶像を作り出す工場の品質管理担当技師」と見ている。わたしたち牧師が、もしそのような見方に同調してしまうと、直ちにわたしたちは自分の聖職から離脱することになる。教会に集う人々は、困難な時、助けを求める。自分が挑戦している事業に意味や意義があるか否かと聞いてくる。その人々は、ある意味では「神」を求めている。ただし、それは「嫉妬深い神」ではなく「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神」でもない。ほとんどの場合、その人々は自分自身が自分の神になって、自分の好きにやろうと思っている。それが、困難な場合になると、思い通りに行かないので偶像の助けを求める。「力を貸してくれる偶像を、どうやって手に入れるのか、牧師が教えてくれるだろう」と考える。さらに(ヘンリー・フォードが編み出した)大量生産が発達したために、膨大な量の偶像を、あらゆる好みに合わせて、様々な色や形で作り出すことが出来るようになった。つまり「ジョン・カルヴァンの洞察力」「ヘンリー・フォードの技術力」「北米の宗教」ということになったのだ。わたしたちは「金の子牛の国」に住んでいる。だから、わたしたちはアロンのように(出エジプト記32章)成功した牧師になることは簡単で魅力的でもある。

イエスは言われた。「偽物の説教者に気をつけなさい。あの連中は、笑顔いっぱいで、誠実さにあふれる雰囲気を装っている。どうにかして騙してやろうと、あの連中は機会をうかがっている。カリスマの魅力に惑わされるな、人格を見極めよ。
―― マタイによる福音書7章15~16節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
書籍のお求めは、ヨベルオンライン公式ストアアマゾンストアで

この記事もおすすめ