エレミヤでは「完璧」というものは信仰の生活に由来していることは明らかである。「完璧」とは、自分自身よりも神に関心を持つことであり、「快適さ」や「人からの敬意」あるいは「成果」とはほとんど無縁である。エレミヤを見るとき、人生を精一杯生きた人の姿を見られる。しかし、この物語には、自己称賛的な誇りや世俗的な成功の匂いや、個人的な成果が微塵(みじん)も感じられない。エレミヤは、わたしの「充実した人生」の情熱を覚醒(かくせい)してくれる。
イエスはこう言われた。「いつも家を開放しておきなさい。気前よく人生を送りなさい。他人に心を開きなさい。そうすることで、人々の心を神に向かって開くことができる。気前のよい天の父である神に向かって人々の心が開かれるために、そうしなさい。」
―― マタイによる福音書5章16節