ヘブライ人の「夕べがあり朝があった」(創世記1章5節)という一連の流れは、わたしたちを恵みのリズムに整えさせてくれる。わたしたちが眠る。そうすると、神がその働きを開始される。わたしたちが眠っている時、神はご自身の契約を展開する。わたしたちが目覚めると、今度は神の創造的な御業に参与するよう招かれる。わたしたちは信仰によって神に応答し、働くことによって神に応答する。しかし、先行するのは神の恵みである。この恵みこそが第一のものである。わたしたちは自分が造り出したのではない世界の中で目覚め、わたしたちが受けるに値しない救いの中で目覚めるのである。「夕べ」……神はわたしたちの助けなしに、その神の創造的な一日を開始される。「朝」……神はご自身が始められた御業を共に喜び、分かち合い、さらに、推し進めている業(わざ)へと、わたしたちを招かれる。創造と契約は全くの恵みである。そこで、わたしたちは、朝毎に、その恵みに迎え入れられる。ジョージ・マクドナルドは「眠りとは、わたしたちが目ざめている時には受け入れることが出来ない援助を、神が人間に与えるための神の発明である」と述べている。
朝早く起き、夜おそく寝る
指先まで 心配事をいっぱいにして
骨休みすら 忘れて励む あなたはむなしい。
知らないか 神は愛する人々に
一息つく場を お与えになる。
それを与える 御業に神は
こよなく愉悦を 楽しませてくれる。
―― 詩編127編2節