スイスのジュネーブの教会の人々に説教していたジョン・カルヴァンは、「幸せ」について語っていた。「幸せな人生は『安易さ・名声・大きな財産』によって作り上げられると、あなたがたは考えている。この世界の風潮に流されて、そう考えている。もっとよい幸せ・もっと深い幸せがある。それを知って欲しい」と、カルヴァンは自分が担当する教区の人々に説教していた。
詩編128編は、カルヴァンの願いを行う手助けとなる。「誰かから何かを取り上げることによって、何とか自分だけは幸せになれる」ということが、この世界には余り多すぎる。そのために、他人を満たしてあげることがとても難しくなっている。自分の生活水準を上げるために、この世界のどこかにいる他の誰かの生活水準を下げなければならない。そのような「幸せの追求」の結果、わたしたちは今、世界的な飢餓の危機に直面している。「もっと、もっと豪華に」「さらに、さらに、高い水準で」と、生活の向上を目指す欲求があり、それに応えて工業化した国々が競い合っている。その結果、貧困と飢餓に苦しむ人の数が増えて行くのである。でも、そのようにする必要はないのである。「今、この世界には、十分に行き渡るだけの食料がある」と、世界の飢餓問題の専門家は述べる。農業生産の能力に問題はない。食べ物を配給する技術もある。ただ、わたしたちには貪欲の問題がある。今の内に自分のものを手に入れておかないと、幸せになれないかもしれないと考えてしまう。飢餓の問題は政治や経済で解決されるものではない。この問題は教会で解決するものである。「もっと違う、別の方法で幸せを追求すること」を学んでいるクリスチャンの間で、飢餓の問題は解決されるだろう。
……全ての信者たちは、全てを共有し、見事な調和の中で生きていた。自分たちが所有しているものであれば、それを全て売り、資産を互いに出し合った。そうして一人ひとりの必要が満たされた。
―― 使徒言行録2章44~45節