1月1日「初めに言があった」

初めに言(ことば)があった。
言は神に存在していた。
神は言に存在していた。
言は神であった。
言は最初の日から神のために準備されていた。

全てが神によって創造された。
神を除いて創造されたものは
何もない ― 何一つもない! ―
そして生まれたものは命であった
命は生きるための光であった。
暗闇の中から命の光が輝き
暗闇はそれを消すことが出来なかった。

昔、神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は命の光を示すために遣わされた。彼は全ての人々にどこを見ればいいのか、誰を信じるべきかを教えるために来た。ヨハネ自身は光ではなく、光への道を示すために存在していたのだ。
命の光は真実であった。
全ての人々が命に入るよう
ヨハネは彼らを光に導く。

言はこの世の中にいた。
言によってこの世が出来たが、
この世は気づくこともなかった。
言はご自身の属する人々に来たが、
彼らは彼を望まなかった。
だが、言を本当に望んだ人々、言を主張した通りの人であると信じた人々
言を述べたことを行う人と信じた全ての人々を
神の真の子どもとしたのだ。
これらの人々は、血によってではなく
肉によってではなく、セックスによってでもなく
神から産まれたのだ。

言は肉と血を取り
近所に引っ越してきた。
わたしたちは自分の目でその栄光を見た。
父と子のような唯一無二の栄光を。
内も外も寛大で
最初から終わりまで真実である。

ヨハネはこの方を指さし、そして言った。「この方がそのお方である。あなたがたに語ったお方はわたしの後から来られるが、実は前からおられたお方なのだ。そのお方はわたしのずっと前からおられるお方なのだ。そのお方は常に初めの言葉を持っておられた。」

わたしたちは彼の寛大な恵みを受けて生きている。恵みから恵みへ、恵みから恵みへという寛大な恵みを受けた。

わたしたちはモーセから基本を学んだ。
このいきいきと与えることや、受けることをモーセから学んだ。
この終わることがない知恵と知性 ――
これらは全ては救い主なるイエスキリストによってもたらされた。
いまだかつて、神を見た者は誰一人もいない。
誰一人も神を垣間見ることも出来ない。
このような唯一無二の独り子である
父なる神の正にふところにいるその子が
神を明白に示されたのである。

― ヨハネによる福音書1章1~18節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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