祈り)
天の神様,私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私たちが時に思い出すのは、よい思い出より、あまり好ましくなかったことを思い出すことが多いような気がします。
考えてみると、神様にとって大切な私たちにいつもよいものを与えて下さるあなたをつい忘れて、感謝できない私たちがいます。
それでも神様、あなたは私たち一人ひとりを変わることなく大切にして下さいます。
私たちがあなたに大切にされていることを思い起こし、神様あなたから与えられている命を生きられますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと、そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン
【参照聖書 マタイ8章28〜34節】
突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」(29節)
「突然,彼らは叫んだ。『神の子。かまわないでくれ、まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。』」(マタイ8:29)そのように言われたイエス様は「あっ、ごめんごめん。うっかりしてたよ」と言われるのでもなく「時が来たんだから、私の言うことを聞きなさい」とも言われません。ただ確かなのは、誰もが怖くて立ち入らなかった道に入り、悪霊に取り付かれているといわれる二人に向き合うのです。
「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」この言葉はまるで私たちが死や突然の災難にであった時の叫びに似ているような気がします。「神様、なぜ今なんですか。」
すべてのことには神様の定められる「時」があります。旧約聖書のコヘレトの言葉の3章1節に「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」とあります。神様の与えられる「時」は神様の思いつきや都合のよいように定められてはいません。ただ、あなたにふさわしい「時」が与えられています。私たちは突然の死や自分の思いもしなかった現実にであう時、うろたえ戸惑い、苦しみます。「神様、なぜ今なんですか。」と神様を責めてみても誰も答えてくれません。ただ、だからこそ神様に信頼していいのです。一つひとつの「時」は今のあなたに与えられる「時」なのです。
あなたを大切にしてくださる神様が、あなたと共にいてくださいます。「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(コヘレト3:1)「神様ならなんとかしてよ。」と叫びたくなりますが、神様はあなたを信頼しています。神様は言われます「あなたなら大丈夫、私が共にいるから。」