祈り)天の神様,私たちに新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。
いつも変わらないもの、それが私たち一人一人の心の中心にある時、私たちは支えられます。
神様あなたに支えられていることに気付くときに感謝できますように。
そして、あなたの支えは私たち一人一人の周りの人や様々な物や出来事を通して伝えられます。
どうぞ私自身の存在も神様あなたがお用い下さい。
これから語られますみことば、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へ、
またお一人お一人の心にあるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってみ前にお捧げ致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:詩篇5篇8〜13節】
主よ、あなたは従う人を祝福し
御旨のままに、盾となってお守りくださいます。(13節)
いろいろな思いの中、お一人お一人が新しい年をお迎えだと思います。忙しくてちっとも嬉しくない人や苦しみや悲しみの真っただ中でそれどころじゃない人、新しい年を健康で迎えられて嬉しい人などお一人お一人新年の迎え方が違います。違っていていいのだと思います。でも「新年を与えて下さり神様ありがとう」という気持ちは、表現の仕方は一人一人違っていても必ず神様は受け止めて下さいます。神様には正月休みなんてありません。いつもあなたと共におられることが神様の喜びだからです。
さて、今お読みしました聖書の箇所において、まるで他人が悪人と善人に別れるように受け取ることもできますが、「私は真っ白よ。」とか「私は真っ黒よ。」と良い人と悪い人をはっきり分けることができるのでしょうか。良い人って思われる人にも悪い所があり、いくらこっちの人が良いと言ってもあちらの人に言わせれば悪い所もあります。それは悪い人だと思われている人も同じで一人一人は皆グレー、灰色です。白と黒どころかいろんな色が入り交じっているのが私たち人間です。
そのようなことを考えていた時ふと思い出したことがあります。私は小学校くらいのときに合唱団で「翼を下さい」という歌を歌いました。その時は自分の足で歩き走り回ってたのでその歌を歌っていても「きっと車椅子の子どもが作った歌なんだな」くらいにしか聞いていませんでしたが、今,自分が車椅子になって「翼を下さい」を聞くとその人にしかわからない深い気持ちがいろいろあることが聴こえてきます。
人は何か一つのものを判断する時、置かれた環境や立場で価値観が変わることがあります。その時代時代でも変わって来ます。しかし、神様は違います。<大切なあなた>という神様の価値観は変わることがありません。だからこそ今お読みした聖書の箇所の中でも詩(うた)われています。『主よ、あなたは従う人を祝福し 御旨のままに、盾となってお守りくださいます。』
神様に従う人それは神様に従う心です。神様に従う心を持たない人はいません。いろんな心が入り交じって自分ではどうしようもなくてもいいのです。全てを神様に任せて神様に従う心を祝福して頂きましょう。どうすればいいのか、迷うことも忘れることもあります。ただ神様を思い起こす時にあなたの心に神様を入れてあげて下さい。神様はいつもあなたを待っていて、いつもあなたに思いを向けて下さっています。