今日10月25日は田中耕太郎の誕生日。10月20日の「今日は何の日」で紹介した国会答弁で、正田美智子の婚約に関わったとされた人物です。1950~60年には最高裁判所長官(在任期間歴代1位)を務めました。
1957年8月19日、皇太子明仁親王(現在、上皇)と正田美智子(現在、上皇后)が軽井沢のテニスコートで出会ったとき、田中も観覧席にいて、美智子の母、富美から写真を撮ってくれるよう頼まれたことを、「朝日新聞」(58年11月28日付「予期せぬ初顔合せ──撮影頼まれた田中長官」)は伝えています。
田中は無教会の内村鑑三の門下生でしたが、結婚後、妻の峰子の影響で、上智大学初代学長のヘルマン・ホフマンよりカトリックの洗礼を受けました。戦後間もない46年、第1次吉田茂内閣で文部大臣として入閣し、日本国憲法に署名しています。吉田も、妻と子がカトリック信者で、自身も臨終の洗礼を受けました。
カトリック関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)の主任司祭を務め、社会福祉事業に大きな功績を残したヨゼフ・フロジャック神父から美智子の祖母・正田きぬは洗礼を受けましたが、田中もこの神父とたいへん親しくしていました。またフロジャック神父は戦後、昭和天皇にもたびたび拝謁しています。そして、皇太子の結婚の儀が行われた59年に帰天していますが、以下のような証言があります。
神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林(正田家があった)に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。(五十嵐茂雄『フロジャック神父の生涯』緑地社)
宇佐神毅(うさみ・たけし)宮内庁長官(当時)は先述の国会答弁で次のようにも述べています。「今回の御内定になりました方(美智子)につきまして、世上で一昨年あたりから軽井沢で恋愛が始まったというようなことが伝えられますが、その事実は全くございません」
このようなことから、「テニスコートの恋」の背景には、田中や吉田、フロジャック神父など、カトリックの有力者がいると言われているのですが、はたして真相は……。