今日11月10日は井戸の日。「いい(1)井(1)戸(10)」の語呂合わせです。全国さく井(せい)協会が2006年より実施しています。
蛇口をひねれば飲み水が出る水道の完備されている日本でも、雨不足や震災などで断水を余儀なくされることもあります。そのため、衛生的な地下水をくみ上げられる井戸の良さが見直されています。
聖書に最初に出てくる「井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった」(創世16:14)。アブラハムの妻サラにいじめられて逃げ出した女奴隷ハガルが神の御使いに出会った場所です。「ベエル・ラハイ・ロイ」とは、「私を顧みられる生ける神の井戸」という意味。
続いて出てくる井戸も、イシュマエルを生んだハガルがアブラハムのもとから追い出されてさまよい、渇きで死にそうになっている時、「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた」(同2:19)。
このように聖書には井戸がたびたび出てきます。ただ雨の降らないパレスチナでは、井戸は非常に深く掘らなければならないために貴重であり、井戸をめぐっての争いもしばしばでした。
何より旧約聖書で井戸は男女が出会う場所です。イサクの結婚相手を探していたアブラハムの僕(しもべ)は、井戸でリベカに出会い(創世24章)、ヤコブがラケルと出会ったのも井戸(同29章)、モーセも井戸でツィポラと出会って結婚することになりました(出エジプト2章)。
そして新約聖書では、イエスがサマリアの女と「ヤコブの井戸」で出会います(ヨハネ4:6)。
ところでサマリア人の伝承では、これはヤコブが掘ったとされる井戸ですが、聖書にその記述はありません。ただ、その井戸のあった「シカル」(5節)は、ヤコブがその土地の一部を購入した「シケム」(創世33:19)と同一という説もあります。
女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」。イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」(11~14節)
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今日はマルティン・ルターの誕生日でもあります。ドイツの宗教改革者。
つい先日の10月31日が宗教改革記念日でした。1517年、34歳の誕生日の10日前にルターは「95カ条の論題」をヴィッテンベルク城教会の門扉に貼り出しました。それが宗教改革の始まりとされています。ここからカトリックから分かれてプロテスタントができました。
それから472年後の1989年、ヴィッテンベルクから北東に約110キロ、ベルリンの壁の撤去作業が始まったのも11月10日です。翌年、東西ドイツが統一されました。プロテスタントとカトリックの壁が取り除かれるのはいつのことでしょう。