しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。(ヨハネによる福音書14章19節)
弟子たちは主イエスが居なくなることに不安を抱いた。事実、主イエスの死後、弟子たちの群れはユダヤ人の攻撃と、ローマ帝国の激しい迫害に悩まされた。小さな群れである教会は消滅しても不思議ではなかった。しかし、教会は全世界に広がっていった。それは、今日の聖句の通り、霊において生きている主イエスが弟子たちと共におられたからである。
主イエスは、二千年前にこの地上に生きて、神の御心(みこころ)を余すところなく示された。そして、十字架にかけられて死んだ。その生と死は、神の特別の啓示であり、一回限りの出来事である。主イエスは死んだが、神の力により復活し、今、聖霊において生きておられる。それは、主イエスが地上の生涯で行われたことを、時代と場所を超えて行うためである。主イエスはこの世におられる時、身をもって神の愛を現し、人々をみ許(もと)に招いた。そして、招いた者たちを弟子として愛し、訓練した。そのように、主イエスは今も私たちをみ許に招き、愛し、み言葉を語り、御業(みわざ)を行う聖霊の主である。
今日、日本の教会は小さな群れであり、世俗主義の波に押し潰されそうな状態にある。にもかかわらず、教会は消滅せず、人々に主イエスを証しし、宣教の業を続けているのは、聖霊の主イエスが教会の主として働いておられるからである。主イエスはご自分を愛する人にご自分を現し(21節)、ご自分を愛する人と一緒に住む(23節)と語った。主イエスを愛する人とは、日々、主のみ言葉を慕い、主に従う人である。