最後に言う。主に依り頼み、その偉大なカによって強くなりなさい。(エフェソの信徒への手紙6章10節)
使徒パウロは、福音宣教のために大きな働きをした人であった。しかし、彼は特別に力ある人間でも、だれからも尊敬される偉人でもなかった。彼は風采(ふうさい)が上がらず、病弱であった。また、自らの罪を知って、「私はなんと惨めな人間であろう」と嘆く人であった。伝道の困難と教会の心配事に悩まされた彼は、苦労したことが多いと語ったあとで、「わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(Ⅱコリント12・10)と言った。彼は宣教の働きを妨げようとする悪しき力と戦いながら、主の力に依り頼んで、その使命を全うした。
パウロは、私たちの戦いの相手は「血肉」、つまり人間ではなく、「悪の諸霊」であると語る(12節)。私たちは自分に敵対する人間を戦うべき相手とみなすが、そうではないと言う。私たちは人の心に不信と憎しみを植えつけ、不和、争い、人殺しへと駆り立てる悪魔を見据えなければならない。悪魔は、神を信じ、神に従って生きようとする人間から、その信仰を奪い取ろうと隙を狙っている。宣教の使命に生きる私たちは、悪霊との戦いの中で、自分たちの弱さと限界を思い知る。今日の聖句が語るように、宣教の使命を果たすために、主に依り頼み、その偉大な力をいただかなければならない。主の偉大な力をいただくために、「霊の剣、すなわち神の言葉を取り」(17節)、「絶えず目を覚まして根気よく祈り続け」(18節)、み言葉と祈りという「神の武具」(13節)をしっかりと身につけなければならない。