9月3日「わたしの血による新しい契約」

この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。(ルカによる福音書22章20節)

 エルサレムで、主イエスは弟子たちと最後になる過越(すぎこし)の食事を守った。その昔、イスラエルがエジプトに寄留する奴隷であった時、エジプトを襲った神の裁きは、屠(ほふ)られた小羊の血を鴨居(かもい)に塗ったイスラエルの家を通り過ぎ、これによってイスラエルはエジプトの桎梏(しっこく)(束縛)から解放された。過越の食事は、イスラエルがこの出来事によって救われ、神の民とされたことを感謝し、神を礼拝し、神の戒めに従って歩むと誓った神との契約を覚えるものである。

 主イエスは食事の席に着くと、「苦しみを受ける(パスコー)前に、あなたがたと共にこの過越(パスカ)の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」(15節)と言った。主イエスはご自分の十字架の苦しみと過越とを結び合わせて語った。そして、パンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」(19節)と言い、杯も同じように弟子たちに回し、今日の聖句を語った。神は預言者を通して、イスラエルの民を贖(あがな)った最初の契約を更新し、「新しい契約を結ぶ日が来る」(エレミヤ31・31)と語った。それは罪の奴隷となっていた私たちを救いだし、神の民とし、その間に交わす新しい契約である。最初の契約で傷なき小羊の血が流されたように、新しい契約では罪なき神の御子(みこ)の血が流された。永遠の”霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献(ささ)げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか」(へブライ9・14)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ