6月21日「小羊として屠られたから」

古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。キリストが、わたしたちの過越の小羊として屠(ほふ)られたからです。コリントの信徒への手紙I 5章7節)

地中海の貿易港であったコリントは、経済は栄えたが、人々のモラルが低く、当時、みだらな人間を「コリント人のようだ」と言うことわざがあるほどであった。コリント教会はそうした社会の風潮に麻痺してか、不品行を犯す信徒がいても、これを放任していた。このことを知ったパウロは、不品行な者が罪を悔い改めないならば、彼の魂が終わりの日に救われるために、除名せよと勧告し、今日の聖句を語った。

キリストは私たちの罪を贖(あがな)う「過越の小羊」として屠られた。私たちのために命を犠牲にされたキリストの前で、犯した罪を心から悔い改めるなら、神は古いパン種を取り除き、パン種の入っていない者としてくださる。この大きな恵みにあずかった者は、神の恵みに応えて、神に喜ばれる生活を心がけるのである。心がけても、さまざまな罪を犯してしまうのが私たちである。それゆえ、私たちは、日々、神の許(もと)に立ち返って、パン種を取り除いていただかなければならない。そうしないと、古いパン種は残り、ふくれあがって、私たちを滅ぼすであろう。

ルターは、「キリスト者の生活は、日々、悔い改めの生活である」と言った。私たちは、日々、神の前に罪を悔い改めて、古いパン種を取り除いていただき、この世において罪と戦いながら、約束の地に向かって信仰の旅を続ける。古いパン種を持ったままで、天国を目指すことはできない。キリストの贖いの恵みにあずかって、古いパン種を取り除かれた者が、罪とよく戦うことができる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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