3月14日「お前たちの問題だ」

この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。(マタイによる福音書27章24節)

ローマの総督ピラトは、主イエスが訴えられたのはユダヤの指導者たちによる妬みであり、主イエスには罪がないことを知って釈放しようと思った。彼はユダヤ人の歓心を買うために、主イエスとバラバの「どちらを釈放してほしいのか」と聞いた。すると、群衆は「バラバを」と言い、主イエスを「十字架につけろ」と叫び続けた。ローマ皇帝が総督に託した第一の任務は属領地の治安であった。ピラトは騒動になって自分の責任が問われることを恐れ、彼らの要求を受け入れた。彼は自己保身のために真実を曲げた。そして、バラバの代わりに主イエスを十字架に引き渡した。その時、彼が群衆の前で手を洗って言ったのが、今日の聖句である。

ピラトは主イエスの死に関係がないと手を洗ったが、それで責任が免れるわけではない。罪を他人になすりつけて、責任を負おうとしない卑劣な人間である。群衆もまた、指導者や周囲の声に流され、熱狂し、冷静な判断ができないまま行動した。その無責任な行動が主を十字架につける大きな過ちを犯した。カルト的宗教団体の信徒たちが思考を停止したまま教祖に従って犯した近年の犯罪も、国民が愛国心を煽(あお)られ、現人神(あらひとがみ)天皇を押し戴いて、滅私奉公の掛け声のもとに一丸となって突き進んだ過去の戦争も、同じ過ちである。「教祖の命令に逆らえなかった」、「あの時代には仕方がなかった」と、責任を他人や社会に転嫁しても、それで罪の責任が免れるわけではない。自分の罪と向き合い、これを告白して赦(ゆる)しを求めなければ、同じ過ちを繰り返すであろう。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ