心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。これが最も重要な第一の提である。第二も、これと同じように重要である。隣人を自分のように愛しなさい。(マタイによる福音書22章37〜40節)
「聖書は神のラブレターである」とある人が言ったが、名言である。神は聖書を通して、私たちを愛していると語る。また聖書は、私たちが神の愛に応えて神を愛し、隣人を愛するようにと、神の願いを語る。今日の聖句は、主イエスが旧約聖書の申命記(6・5)とレビ記(19・18)から引用して、私たちに対する神の願いを端的に語った掟である。
聖書を通して、また、主イエスを通して、私たちが神に対してどのように生きるべき責任を負っているかは、十分に示されている。それでもなお、神に背を向け、神の願いに応えようとしないところに、私たちの罪がある。「罪が支払う報酬は死である」(ローマ6・23)。しかし、私たちの死を願われない神は、御子を世に遣わして、私たちを生きるようにしてくださった。すなわち、イエス・キリストが私たちの罪のために死んでくださったことによって、神は私たちに対する愛を示された。主イエスの十字架の死は、罪人を赦し、死から復活の命に生かす神の愛の出来事である。
私たちキリスト者はこの神の愛を知って、神の願いに応えて生きる者となった。私たちは「隣人を自分のように愛せよ」との神の掟の前で、繰り返し自分の愛の貧しさを痛感するが、自分を責めることはしない。神の愛を知っているからである。私たちは自分の貧しさを知るたびに、へりくだって、「隣人を愛することができるようにしてください」と神に祈る。