2月23日「皆の僕(しもべ)になりなさい」

あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい。いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。(マタイによる福音書20章26節)

主イエスがエルサレムの都に向かった時、十二弟子はイスラエル復興の時が近いと思い、主イエスが王となった暁には他の仲間より高い地位を得たいという野心を抱いた。ヤコブとヨハネの母は主イエスに、主が王座にお着きになる時、二人をあなたの右と左に座れると約束してほしいと頼んだ。他の十人はこれを知って、自分たちを出し抜いた二人に腹を立てた。主イエスは権力を志向して争う弟子たちに、「異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」(25〜26節)と言って、その思い違いを諭し、今日の聖句を語った。

主イエスは人の上に立つことがいけないとは言っていない。世の中には、人の上に立つ役割もある。その場合、上に立つ者に求められることは仕えることであると、主イエスは言うのである。この視点がないままに、名誉や権力を志向し、人の上に立とうとする生き方が問題である。この世では地位や権力で人が評価され、また、それが生活の安定にもつながる。そこで、人々はこれを得たいと願い、親も子に得させたいと奔走する。人に仕える視点のない、力への信仰が、今日も人間を狂わせている。人を成績や能力で格付けし、劣る者を蔑(さげす)む学校や社会が、他人の痛みの分からない人間、欲求不満を他人にぶつける人間を生んでいる。いじめ、暴力、詐欺、人殺しという狂気の社会現象は、親の過度の期待と利己的な愛情、その根源にある神信頼の欠如が原因である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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