1月11日「迫害する者のために祈りなさい」

敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい(マタイ5:44)

この世には、復讐の連鎖が止まらず、争いがますますエスカレートしてゆく現実がある。この現実を断ち切るには、主イエスが語られた今日の聖句のように、「敵を愛する」以外にはないであろう。その意味で、主イエスの教えは素晴らしい。しかし、これを実行するのは不可能に近いので、人々は主の言葉に失望するか、理想の教えとして棚上げしてしまう。

主イエスは理想を語ったのだろうか。否(いな)。「敵を愛し、敵のために祈れ」と教えると同時に、その戒めを実行できる道も用意しておられる。それは、主イエスによって開かれた十字架の福音である。主は十字架の上で、自分を殺す者たちのために「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください」と祈り、「敵を愛せよ」という戒めを身をもって実行された。人を赦すことができず、神の敵でさえあった私たちのために、神の御子イエスは苦しみを受けながら、その赦しを父なる神に執り成したのである。私たちは自分の罪深さを知って、主イエスの十字架を仰ぐ時、罪の赦しの恵みにあずかり、神との交わりに入れられる。そして、神との交わりを持つことによって、聖霊は私たちのうちに神の愛を注ぎ、私たちをして「主よ、御心をなさせてください。敵を愛し、赦すことができるようにしてください」と祈る者とする。

主イエスは私たちに愛の教訓を説いているのではない。「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われるのである。憎しみの連鎖を断ち切る道は、主イエスの十字架を仰ぎ、十字架に現れた神の愛を知ることから始まる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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