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10月、ルーテル教会は「ルターの宗教改革」に特に心を向ける。言葉で、行動で、そして讃美歌で、人々に「福音」について力強く語り続けた。彼の讃美歌の代表曲は、愛唱詩編である詩編46編を基に作詞作曲した「神はわがやぐら」(1529年)であり、私たちにとっても心の支えとなる讃美歌でもある。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦(とりで)。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」(詩編46:1) 1517年に「贖宥(しょくゆう)の効力を明らかにするための討論」(いわゆる、95箇条の提題)を世に出して以後、ルターの日常は慌ただしく、心落ち着かせる間もなかったことだろう。それでもルターは「今日はいつもより忙しかったから、いつもの3倍祈ろう」という程に、神への祈りの時を大切にした。そこが彼にとっての避けどころであったからである。
「お帰りなさい」と、礼拝をお休みした翌週、教会に来られた方々が私を迎えてくださった。たかが一回日曜日をお休みしただけなのにと、何となく照れ臭い思いもあったのだが、でも何だか嬉しくて笑顔で「はい!」と私。いつもの牧師がいない日曜日は、「いつもと違う日曜日」と感じてくださったからだろうか。確かなことは私には分からないけれども、私に向けてくださった「お帰りなさい」の言葉は温かい。何よりも、「私には帰る場所がある」ということであり、ここが私の避けどころなのだということの確かな「しるし」に他ならないからだ。
神学生時代にお世話になった故坪池誠牧師は、お父様が危篤の報を受け、出張先より実家に戻った時に、お父様に「帰りなさい」と厳しく言われたことを直接話してくださった。弁護士であったお父様は、戦時中、投獄された牧師たちの弁護を引き受けられた篤い信仰者であった。その信仰が、「お前の帰るべきところ、避けどころは、ここにはもうない」と告げられたのであろう。あの日、傷心の坪池先生を、教会の方々は「お帰りなさい」と迎えてくださったに違いない。
「人の子には枕する所もない。」(マタイ8:20)とイエスは言われたが、従うことはどのような犠牲を払わなければならないかを問う言葉であると同時に、帰るところ、避けどころは神の身許(みもと)にあると言われたのであろう。コロナ禍中、ずっと心に刺さっている棘(とげ)がある。感染させない・感染しないためとはいえ、「関係者以外の来会をお断りした」こと、それは「避けどころ」であることを放棄したのではないかという問いである。二度と教会が「避けどころであること」を棄てないようにし、いつでも「お帰りなさい」と迎えてあげられる教会になるために、これからしっかり検証しなければなるまい。