CS説教塾で大頭眞一氏 「なるべく短く、なるべく壮大な物語を」

日本イエス・キリスト教団京都教区教育部は6月16日、日本イエス・キリスト教団京都聖徒教会(京都市北区)を会場にCS(教会学校)説教塾を開催した。

昨今「ユース」や「ティーンズ」といった青少年を対象とする伝道・礼拝のあり方について議論が活発になる一方、説教についてはいまだ多くの教師や信徒が方法論や技術面について不安を抱える声が聞かれる。

講師の大頭眞一氏(京都信愛教会、明野キリスト教会牧師)は冒頭、「こうあらねばならないと結論づける説教は本質的に福音と呼べるのか」と問いかけた。子どもを対象とするミニストリーの場合、どうしても大人は「模範でなければならない」という意識が強くなり、結果的に倫理や道徳の授業のような説教に落ち着いてしまう傾向があるという。

しかし、大頭氏は前提として「信仰を確固たるものとさせるのは本人の自覚ではなく人間を決して離さないキリストの恵み」であることを覚える必要があると話す。これには大人が子どもに向かい合うというより、大人も子どもも一緒にキリストを見つめるという姿が想起される。そこでは説教をする者は単なる教師ではなく、ともにキリストの声を聴こうと肩を並べる兄弟姉妹となり、「信仰が根付く」という時間のかかる営みを同じ歩幅で歩むことができると大頭氏。

そこで具体的な二つの試みが提案された。一つは「5分程度で視聴覚教材も用いて語る」こと。従来、説教といえば「余すことなく神の言葉を……」と持っているあらゆる知識を詰め込む傾向があるが、子どもたちからすれば何が話の主題なのかがつかめずかえって混乱し、「説教がつまらない」という意識が根づくとなかなかその後も心を開いてくれなくなる。大頭氏は「説教は短ければ短いほどいい」と述べ、その上で「ワンライン(1行)で要点を説明できる訓練」が必要であるとし、ポイントが明確な説教こそ青少年にも届くと説く。

もう一つは「神の大きな物語からハードな課題に向き合う」。例えば、教会学校の五つの約束としてひんぱんに取り上げられる「礼拝・聖書・お祈り・献金・伝道」を繰り返し教え込んだ場合、子どもたちにとって神は「要求する神」として映ってしまう。しかし神とは私たちが想像する以上の存在であり、説教ではまずその点(神の大きな物語)に言及しなければ主体的な信仰も芽生えないだろうという。

大頭氏が推奨するのは「創造 → 堕落 → 世界の回復」を分かりやすくまとめた『せかいは新しくなる』(日本聖書協会)=写真下。重要なことは、これらの説教を聴いた子どもたちが、その神の言葉を携え世界で活躍すること。当然そこには、神の存在を疑いそうになる理不尽な出来事が数多く存在する。大頭氏の教会ではそれらの問題を月に1回、必ず取り扱いお互いに語る時間を持つ。それは「子どもたちが神様との関係を薄っぺらくしてしまわないため、信仰とは疑問を押し殺すことだと誤解しないため」だとのこと。たとえ解決しない問題であっても、神の大きな物語を通してそれを見る時、目の前の出来事は変わらずとも子どもたちの捉え方に変化が起こることはある。そうした営みを通して神の言葉に生きることを大人も子どもも共に知る必要があるという。

最後に、説教とは「福音の宣言」であると強調した大頭氏。福音とは「もうすでに起こっている」神の支配の約束である。説教とは人間が無から有を生み出す営みではなく、すでに起こっているこの事柄を語ることであり、この宣言を忘れるとき説教は道徳の教えや単なる「タメになる話」になってしまうと指摘した。

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