【映画】 モフセン・マフマルバフ監督インタビュー イラン映画の詩性と、亡命後の映画製作をめぐって

アッバス・キアロスタミとの盟友関係でも知られるイラン映画の名匠モフセン・マフマルバフ監督に、亡命後の映画製作や、イラン映画と《詩性》との関係についてなどお話を伺った。

エルサレムに取材した監督新作『子どもたちはもう遊ばない』や、タリバン政権復活時の米軍アフガニスタン撤退をめぐる混乱下で難民を救おうと試みる父の格闘を撮った次女ハナ・マフマルバフ作『苦悩のリスト』上映を含む特集企画《ヴィジョン・オブ・マフマルバフ》が、昨年末から全国順次開催されている。「東京は初めて訪れた頃に比べ、日本固有の特徴を失いどことも違いがなくなってきた」と話す監督の語り口は終始穏やかながら、不意に時折こちらを見据える目線の熱量にはたびたび圧倒された。(通訳=ショーレ・ゴルパリアンさん/聞き手=藤本 徹)

――まずマフマルバフ監督の信仰について、お話できる範囲でお聞かせください。

私はイスラーム信仰の篤い家庭に育ち、成長に従って宗教の別を超えた神を信じるようになりました。生物的/心理的/社会的/精神的な神です。キリストは優しさのシンボルであり、ガンディはキリストのつづきで、マンデラはガンディのつづきと感じています。これまで色々と考えてきましたが、信仰をめぐる私のルーツは結局キリスト、ガンディ、マウラーナー(ルーミー)、ハイヤームから始まるように思います。

――詩聖のハイヤームが含まれる点、大変興味深いです。イラン映画をめぐる詩性についてはあとでお聞きします。ところで監督は初めパリへ亡命され、『苦悩のリスト』にはロンドンのご自宅も登場します。イラン政府による亡命文化人暗殺の危険は以前から知られていたことですが、亡命生活は映画製作にどのような変化をもたらしましたか。

自分は地球人だといつも言っています。私にとってイランに居続ける最大の障害は検閲でした。それゆえにアフガニスタンへ行って撮影していたら爆弾が落とされるようになり、フランスへ移ったら暗殺の危険があるからと自宅に張り付く警官が次第に増えました。それが嫌になり今はロンドンで暮らしているのですが、どこにいようと私自身は構いません。しかし場所が変わると、映画づくりへの影響はもちろんある。変化はつねに歓迎します。作品ごとにスタイルが様変わりするのは、私が変化を受け入れているからです。意識的にフォルムをどんどん変えている。例えば同じ1996年に撮った『ギャベ』と『パンと植木鉢』はスタイルがまったく異なります。どちらにも自分は存在していながら、特定のフォルムに縛られてはいないのです。

――『川との対話』(2023年)では、大いなる川の流れを介し“イラン”と“アフガニスタン”が語る体裁をとり、監督ご自身が“イラン”の役を務められています。また監督のご息女であり『苦悩のリスト』監督のハナ・マフマルバフさんは19歳時の初期長編作『子供の情景』(2007年)をアフガニスタンでロケ撮し、バーミヤンの破壊された石仏を背景に物語を編んでいますね。マフマルバフ一家、あるいはイラン社会にとって、アフガニスタンはどのような存在なのでしょうか。

アフガニスタンはもともとペルシャ文化圏だったのです。英国に負けて分断された。またソ連の侵攻以来、300万人のアフガン難民がイランへ流入しています。今日のテヘランには、40年前にはなかった高層マンションが林立していますが、建てた人夫の多くはアフガニスタン人たちなのですよ。ですからもともと近しい存在でしたが、なにひとつ返せていないという思いがずっとありました。

ですからアフタニスタンでは、学校を設立するなど映画以外にも様々に活動していました。他国にくらべ驚くほど少額で誰かの人生を救うことができる状況に今なおあるのです。またアフガニスタンには、まだ誰も聞いたことのない物語がたくさん眠っています。

――そうした社会活動を実践される監督の姿勢に、若い頃の収監体験は影響していますでしょうか。『パンと植木鉢』(1996年)では、王政打倒の動きに共鳴した監督が襲撃した警官本人の協力を経て20年後に現場再現を試みられていますが、のち亡命へと至った経過のうえでも、この時期の体験は抜きがたい爪痕を残したろうと推測します。

そうですね。『パンと植木鉢』に描かれる通り、反政府活動に関わっていた私は警察を襲い、撃たれて2週間入院しました。しかしそのあと監獄で受けた拷問の傷から恢復するためには、100日間もの入院を余儀なくされた。ですから私を監獄へ入れた体制への憎しみはもちろんあります。のち『独裁者と小さな孫』へ結実したような、独裁者をめぐる想念も深まりました。独裁者はひとりでなるものではなく、誰もが独裁者になり得る。(筆者注=1995年作のドキュメンタリー『サラーム・シネマ』では、映画のオーディションを告知した監督の下へ5000人の人々が集まる騒動のなか、マフマルバフ監督自身が独裁者のように振る舞う。自らの内に独裁者性の萌芽を映し込むことで、暗に体制批判を行う覚悟の深さが窺える)

しかし時折誤解もされるのですが、したがって監獄へ入ったから正義と自由について考えるようになったのでなく、正義と自由について考えていたから刑務所に入ったのです。

――『独裁者と小さな孫』(2014年)は、カフカースのジョージアで撮影された亡命後初の作品ですが、同じイラン人監督バフマン・ゴバディの亡命後初作品『サイの季節』(2012年)とは底層に秘められた静かな怒りや、後景世界の拡がりなど共通要素を多く感じました。他に世界で高い評価を受けながら海外渡航を長年禁じられ、ここ数年は収監もされていたジャファール・パナヒ監督や、実父や実祖父に収監経験がありイランの刑務所をめぐる質の高いドキュメンタリー連作で知られるメヘルダード・オスコウイ監督なども想起されるところですが、こうした作り手たちはマフマルバフ監督にとってどのような存在でしょうか。共闘意識のようなものはありますか。

イランの中で撮るか外で撮るかは、撮りたい映画によりますね。『タイム・オブ・ラブ』(1991年)はトルコで、『サイレンス』(1998年)はタジキスタンで撮りましたが、いずれも内容がイラン政府に認められなかったからです。パナヒ監督のようにイラン国内で撮ることにこだわる在りかたもあって良いし、つくりたいものがあれば自由に出てつくれば良い。キアロスタミは絶対にイラン以外で撮らないと公言しながら、日本やイタリアでは撮りました(注=2012年作『ライク・サムワン・イン・ラブ』や2010年作『トスカーナの贋作』)。そこは撮ろうとする作品次第、状況次第ですね。

――検閲についてお考えをお聞かせください。数年前にイラン人監督アミール・ナデリさんが東京国際映画祭で、「日本にも形を変えた検閲はある。商業主義の検閲に日本の若手監督は苦しんでいるように見える」と発言されていたのは印象的でした。

ナデリ監督に同意します。イデオロギーによる検閲が厳しい国は共産主義や特定の宗教を掲げる国などさまざまにありますが、他の国でも資本主義や文化主導の検閲はありますね。そこでは、こういうものを作ってはならないとハッキリは言われず、ただ製作費は出ない、撮っても配給はされない。ソ連のタルコフスキーが『ストーカー』を作るのに手こずったのとは対照的に、たとえば英国では撮り切ってもメディアの利益にならない作品は報じられず、映画館も扱わない。それはそれで強力な検閲だと言え、そこではやがて監督みずからが自己検閲を始めてしまう。一方で世界はつねに変化しています。「#MeToo」運動など良い例ですが、映画監督は変化を起こすだけでなく、鏡を社会へ置くような仕方で自らも変化していく必要がありますね。

――マフマルバフ監督は、映画製作に三つのレイヤー《映画と政治》《映画と哲学》《映画と詩》があると話されています。先ほどハイヤームの名も出されましたが、詩とはイラン映画にとってどのようなものでしょうか。

イランの歴史上、詩集を出した詩人は3万人、口承のみの詩人はさらに多くいます。石を持ち上げたらその下には詩人がいると言われるほど、イランでは詩作が人々の生活に深く根差している。欧州ではまず絵があり、絵が写真になり、写真から映画が生まれましたが、イランでは詩が映画になったのです。たとえば『ギャベ』(1996年)はとてもリアリスティックな映画ですが、掌で麦から黄色をとりだす詩的なひと幕があります。また『カンダハール』(2001年)では、義足が空から落ちてきます。アフガニスタンでは義足の需要が高いという現実と、空から降ってくるという詩性という構図。

コップはただのコップだけれど(とインタビュー現場の紙カップをとりあげ)、このコップに詩を足すと、ひとの想像力が動きだす。動きだして、コップはただのコップではなくなる。いろんなパースペクティブをこのコップに加えることで、もっといろんな意味が生まれだす、想像を豊かにさせる。

私たちは、私たちのリアリズムで映画を撮っています。ただ革命前は100%の現実を志向していましたが、革命後により深く熟慮して、私は詩性の貫入へとたどり着きました。シュールレアル(超現実)ではなく、非現実的なものでリアリズムを構成する。このように多くのイラン人映画監督はリアリズムで映画を撮りますが、このリアリズムは同時に反現実なのです。詩性による現実主義という選択を自然に採るのが、イラン映画の特徴かもしれませんね。

特集上映《ヴィジョン・オブ・マフマルバフ》
公式サイト:http://vision-of-makhmalbaf.com/
渋谷シアター・イメージフォーラムほか、全国順次開催中

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