いよいよ今回で僕のコラムは最終回です! ここまで読んでくださったみなさん、コラム執筆という機会を与えてくれたクリプレ事業部のみなさんに感謝です!
「人生とは〇〇である。」この〇〇に何を入れるか、時々立ち止まって考えたりします。いま振り返ると、父親をなくして、学生という肩書きもなくして、ゼロから人生を再スタートさせるときに、ある意味ほんとうの僕自身の人生が始まったなあと思うのですが、その時の心境としては、「人生とは真っ白いキャンバスに夢を描いて、自分で色を塗ってゆくもの」だと思っていました。そして東京に出てきて孤独のゼロから生活がはじまり、その後の数々の出会いが僕を成長させてくれました。 そういう意味では「人生とは出会いである」とも言えるでしょう。
しかし、神様と出会って神様を信じる人生を歩みながら思うのは、これまで自分で切り拓いてきたと思っていた人生も、すべては恵みであり、「人生とは神様からのプレゼントである」と思うようにもなりました。限られた人生という時間を歩む中で、僕らは何を手にして、何に気づいてゆくのでしょうか。夢を手にするといえば聞こえはいいですが、夢を手にした後に残るものは何なのか。夢は掴んでも一夜にして消え、また次の日から新たな目標に向かって歩き出す。僕はこれまでのバンド活動を通してそんな経験を繰り返してきたように思います。何のために歌うのか、それは何のために生きるのかと同じ意味であり、今を生きる一人一人に突きつけられるテーマでもあります。
僕が出会った聖書という本は人生のガイドブック、人生の取り扱い説明書と言われることもある本です。そのなかには「人生は〇〇である」と答えるための数々のヒントが隠されています。例えば「最後まで残るものは信仰と希望と愛です。この中で最も優れているものは愛です」、「受けるより与えるほうが幸いです」などの聖書の言葉は、クリスチャンじゃなくても、人生の終わりを迎えるときにはふと頭をよぎるような言葉かもしれません。
人生には理想と現実、希望と絶望、光と闇といった相反する2つの事象があり、そのなかで揺れ動いているのが僕らの魂ではないでしょうか。頭では光を選びたい、希望を選びたい、善いとされることを選びたい、とわかっていても、それをさせない感情が湧くことも多々ありますよね。聖書では、そもそも神は人を良いものとして造り、いつも神と人は愛の関係のなかにあったとあります。しかしサタンに騙(だま)されて、ついついついてしまった小さな嘘が神と人との信頼関係を壊し、隔ての壁を作ってしまった。いわゆる「罪」が人の心に入ってきたわけです。その罪はいまでも僕らを苦しめて、神が望むのとは違う方へ僕らを進ませようとします。そんな自分ではどうしようも出来ない罪を取り除くために、神はひとり子であるイエス様をこの世界に遣わして、その命をもって僕が担うべき罪の罰を代わりに受けてくれました。その命がけの愛と恵みに応えて「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝して生きる」のがクリスチャンという生き方だと思っています。
しかしなお、自分の中で闇と光が戦う現実があります。そういう意味では「人生はテストである」という言い方も出来るでしょう。神様が命をもって勝ち取ってくださった光の方を毎日選ぶことができるように。その与えられた大切な愛と希望を自分自身が体験して、周りの方々にも自分の生き方を通して分かち合っていくことができるように。 そんな「使命」の部分も人生にはあるように思います。 世の光、地の塩として神様の栄光を放って生きる人生を目指して。日々神様の言葉から養分を吸収してちゃんと愛を使っていけますように。神様は目に見えないけれど 神様を信じる人の生き方は目に見えるから。
2021年、世界は決して明るい時代ではない。イエス様がこられた2000年前のユダヤ社会もある意味おなじような暗い時代でした。そこでイエス様は「心の貧しいものは幸いである。神の国はそういう人のものだからだ」と言って人々を励まし、癒し、最後にはご自身の命まで投げ出して人々を愛された。罪人である我々ひとりひとりのために。愛に生きる人生は与える人生。僕自身、夢を掴もうと必死だった20年前に比べて、少しだけ「ゲット」することから「ギブ」することに人生の意味が変えられていたなら幸いですし、これからもっと神様に喜ばれるような人生のほうへ導かれたいと願う次第です。 「最後まで残るもののために」 これが僕自身の人生のテーマであり、「死んで終わりの限りある人生」から、「死んでも終わらない永遠の人生」に変えられたいま、人生で最も大切にしなければならないことも変わってゆくのだと思います。
ここまでコラムに付き合ってくれた皆さんありがとうございました!
また色んな形でみなさんにお会いできることを神様に期待しています☆
人生はまさにGOD ONLY KNOWS!
心からの感謝をこめて。 ☆chiyo☆