みなさん、こんにちは!パダワン青木です。
いつもギリギリを攻めるので、みんなを冷や冷やさせてしまっているようで、本当にすいません。ある方は拍手喝さい、別の方は「噴飯(ふんぱん)ものだ!」とお怒りになられている・・・そんな小さな炎上を起こしてしまったようで、本当に罪深い男だなと思っています。
おっと、いま「罪深い」という表現しましたが、みなさんは「罪」ってわかります?ある方は「それは原罪っていうんですよ?」とクリスチャンの知識をいきなり披露してマウントをとろうとします。こういう方々とは関わらない方がいいですよ(笑)。でも多くの方にとって、「罪」って結構厄介な問題なんですね。この「原罪」についても、次回の解答編で取り上げます。
私たちがキリスト教世界で生きていくと、どうしても罪の問題にぶつかります。単純なところでは「これは罪なのかどうか?」と自分のしていることに自信が持てなくなる瞬間がやってきます。例えば、私がかつて通ってきた教会では、「カラオケは罪です!音楽は、歌は賛美のみ!」と教えられてきました。するとテレビで流れている歌謡曲(懐かしい響き!)はダメ、聞いても歌ってもダメ、となります。ましてやロックフェスに参加するなんて、罪の巣窟に進んで出入りするようなものだ!と言われていました。ここまで極端でなくても、そんな罪意識を幼少期から植え付けられてきたクリスチャン二世は多くいます。
そんな苦い思い出をお持ちの方に、ぴったりの映画があります。「フットルース」です。これをご覧ください。嫌な思いが一気に昇華されます。あ、リメイク版ではなくて、1984年のオリジナル版(ケビン・ベーコン主演)をぜひご覧くださいね。有名なのは、テレビドラマ「スクール・ウォーズ」の主題歌にもなった「ヒーロー」です。映画の中では、トラクターに乗って度胸試しするときにこの歌が流れるので、ちょっと拍子抜けもしますが、物語全体は、まさに教会の、そして人間の罪というものについて、従来とは異なった視点で観る者に訴えかけてくる作品です。ちなみに私に生涯ベスト3に入っています。え?No1は何かって?それはもう、言うまでもなく…コーホー、コーホーと不気味な呼吸音を出して宇宙を飛び回る、アレですよ!全9作あるシリーズですが、7作目以降は…この話はまたの機会に。
何の話でしたっけ?そうそう、罪です。
聖書の定番として、罪の原点が語られる場面があります。それは言わずと知れた「失楽園物語」です。アダムとエバが、神様から「これだけはやっちゃあいかんぞ!」と言われた禁断の果実を食べてしまい、それによってエデンの園を追放されてしまう、というおとぎ話のような、それでいて本当のような、もやッとしたお話です。
あとよく聞くのが、いきなり話にギリシャ語などを持ち出して、「罪とは的外れ!」とうんちくを垂れるパターンもあります。これは、ギリシャ語で「罪」に相当する言葉が「ハマルチャ」というんです。かつて神学校で「罪の誘惑にハマルチャ!」と語呂合わせで覚えさせられました(笑)。この語源は、全く方向違いに矢を射ること、です。だから罪とは、神が願っていたこととは違うものを欲したり、求めたり、それに惹(ひ)かれることなんですよ、となるわけです。
これは、「罪ってナニ?」の次に取り上げる「みこころってナニ?」にも関係するんですが、「神様の思いが分からないことが罪」という、考えてみたら結構横暴な論理なんですよね。だって、「あなたに私の考えていることがわかる?わからないなら、それがダメなのよ!」と言われたって、「エスパーでもない限り、分かるはずないですよ…」とぼやきたくもなりますよね。特にこんなことを奥さんから言われた旦那さんは…っと、自分の話はこれくらいにしておきましょう。
いずれにしても、今までのキリスト教会で使われてきた「罪」という言葉は、令和時代にはほぼ通用しません。いきなりこれをキリスト教ビギナーの方にぶつけてみたらよくわかります。「はぁ?最近耳が遠くてねぇ〜」と顔芸で返されるか、「そんな話は、おしまいdeath!」と拒否られるか、どちらかでしょうね。
何が問題かというと、創世記3章の出来事が、どうしても自分に響かない、ということです。いくら「人間には罪があってね・・・」というような話を聞いても、どこか遠い世界の、小難しいことを考えることが好きな人たちの、絵空事のようにしか思えない・・・。そんな感覚に陥ってしまうということです。一言でいうと、聖書の出来事に現代人はリアリティを感じられない、ということです。こんなにはっきり言ってしまっていいか迷いますが、有り体に言えばそういうことです。
さあ、皆さんはどう思われますか?クリスチャンの皆さん、「こんなことを牧師が言うなんて・・・」と炎上を大きくされますか?
キリスト教ビギナーの皆さん、クリスチャンと名乗る輩には、はっきりと言ってやらないとわかりませんよ。曖昧な返事をしていると、我田引水的に解釈されて、後から困ったことになりますよ。聖書にも書いてあるんです。「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」というべきだ、と・・・。
毎回、自分でハードル上げて、次回の解決編でちゃんとオチが付くのでしょうか?お楽しみに!