アントニオ・スパダロ神父の講演会「教皇フランシスコによる慈しみの地政学」が19日、上智大学四谷キャンパス(東京都千代田区)で開かれた。スパダロ神父は教皇の非公式な顧問役を担っており、最も近い人物として知られている。また、イエズス会の総合雑誌「チビルタ・カットリカ」編集長を務め、フランシスコが教皇に就任した2013年には6時間に及ぶロング・インタビューを行った。
今回の講演では、折に触れて教皇が口にしている言葉「慈しみ」をテーマに、教皇フランシスコの働きや世界平和、訪日への思いなどについて語られた。
「慈しみとは神の行動そのものであり、生きておられる神の働きとして、社会や家族の中での行動によって表されるものだと教皇は言います。ロング・インタビューで教皇は、『教会は、戦闘で深く傷ついた人を手当てする野戦病院のようになるべきだ』と語りました。私はこの言葉を聞いて驚きましたが、示唆に富んだ表現だと感じました」
また、2018年に発表された中国との暫定合意(中国が独自に任命した司教を教皇が認めるというもの)や、世界各国で起こっている紛争やテロについても語られた。
「世界全体の問題について考えるとき、一つの偏った見方で物事を判断するのではなく、複数の視点を持つことが重要だというのが教皇の考えです。本当に平和について考えるのであれば、中国の視点に立ち、世界において中国の果たす役割や価値の高さを考える必要があります。『歴史を変えたいのではなく、前進させたいだけだ』と教皇は語りました。国際的な紛争において『誰が正しい、誰が間違っている』と決めつけることはできないため、二極化で物事を判断することは避けなければなりません。
教皇はテロリストを『かわいそうな犯罪者』として哀れみます。『テロリストは放蕩息子であって、悪魔の化身ではない』と共感を示されているんですね。『隣人だけでなく敵を愛せよ』と神が言われたように、テロリストの目に宿っている怖れに対して慈しみを示すことこそ、神の福音を表す行為なのです。権力とは、支配を用いて築かれる一時的なものではなく、すべてを統合する力であり、それは神によって行われるものです。決して十字架を政治的な利害に使ってはいけません。統合をベースにして平和が樹立されることが必要です」
さらに、教皇による外交の働きや日本への思いについても触れた。
「使徒としての旅路の中で、教皇はしばしば傷ついた場所に手を触れ、癒やしのために祈ります。ベツレヘムでは『嘆きの壁』に頭をつけ、黙ってひとり祈られました。アウシュヴィッツの強制収容所や、たくさんのキリスト教徒が命を落としたエジプト・カイロの教会でも、イエス・キリストがそうしたように手を触れて祈りました。
今回の来日のテーマは、『すべてのいのちを守るため──PROTECT ALL LIFE』です。教皇はイエス・キリストと同じように、『いのちの福音』を人々に伝えたいと考えています。すべてのいのちを守るためには、(人々の尊厳だけでなく)環境を守ることも重要です。来日した際には、戦後の核エネルギーやアレルギーや自然災害などについて話されるでしょう。
また、震災や原発事故の犠牲になった方々や、広島と長崎のためにも祈っています。米国による原爆投下後、小さな少年が亡くなった弟を負ぶっている写真(ジョー・オダネル撮影「焼き場に立つ少年」)を見た際に教皇は大きな衝撃を受け、その裏側に『これが戦争のもたらすものである』と書きました。『核兵器を廃絶したい。所有することも廃絶したい』というのが教皇の考えです。
国際的な安全とは、核兵器の脅威によるパワー・バランスでもたらされるものではなく、正義と統合性のある人間開発、基本的人権の尊重、信頼関係、教育、健康、すべての分野で達成されるべきものです。『なぜ神はこの世の問題をすぐ解決してくださらないのか』と言う方がいますが、神様は常に人間の歩幅に合わせてゆっくり寄り添って歩いてくださり、人間に対して常に慈しみを持ってくださっているのです」