主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、エゼキエル書の43章です。よろしくどうぞ。
エゼキエル書 43章13節
キュビトによる祭壇の寸法は次のとおりである。このキュビトは、普通のキュビトに一手幅足したものである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
神様がエゼキエルに、神殿の設計図を教えています。キュビトというのは人の肘の長さを元にした長さの単位で、1キュビトは大体45cmくらいです。しかし神様は「ここでいう『キュビト』は普通のよりも一手幅(約7cm)長めだから、その点だけ注意してね」と言っています。どうして神様はわざわざ自分の神殿を建てるための設計図に、そんな面倒くさい、例外的な長さを用いたのでしょう。普通のキュビトを使ってくれれば話が早いのに。
神様はこの神殿を、他とは違う特別なものにしたかったのではないでしょうか。現代の寸法は主にmmを基準として表記されますが、何かの設計図に「ここでのmmは通常の1.15倍とする」なんて書いてあったらどうでしょう。このためにわざわざ巻き尺とか定規とかを新しく作らなければいけません(もちろん、本当に現代ならレーザー計測器なんかを使って瞬時に測量と数値変換もできるでしょうが)。そうしたら、その特別な巻き尺や定規を持っている人にしか、この設計物を作ることはできなくなります。
つまり神様は神殿を、特別に許された人にしか作れない、特別なものにしたかったということではないでしょうか。誰かが「俺も同じ神殿を作るぞ」と言っても、できないもの。その数字を知らされた者にしか真似のできないもの。
長さに限らず、物の単位というのは人間にとって非常に重要なものです。使う単位が異なる者同士では、設計図の共有もできませんし交易もできません。ですから古代中国の始皇帝は全土統一を成し遂げた後に、文字や貨幣と同時に度量衡を統一しました。これらの統一は「国」を統一することに必須です。用いる単位や貨幣、文字が異なれば同じ基準での統治ができませんから一つの国とは言いがたくなります。ローマ帝国も広大な領土の全域で共通の単位系を採用し、だからこそ「すべての道はローマに通ずる」と言われるほどの、統一された交通網を整備することもできたんです。
ですから神様はここで「この神殿はこの地上のどの国にも属さないのだ」という宣言をしているのだと解釈することもできるように思います。地上の人間の基準ではなく、神独自の基準で新しい国を建てるのだと。
「私たちの国籍は天にあります」というのは、新約聖書のピリピ人への手紙にあることばですが、これと合わせて考えれば、クリスチャンというのは地上の人間の基準ではなく、神様の基準で生きるのだということです。もちろんクリスチャンだってmやkgを用いますし、円だってドルだって使って生きていますが、そういった従来の基準を塗り変えるほどの覚悟がなければクリスチャンとして生きるのは難しいぞ、ということなのかと思います。
単位系が変わってしまうだけで、地上の人類は大混乱に陥ります。これが多くの国で共通である現代は恵まれた時代でもあります。しかし一方で、その「従来のものさし」を書き換えるような発想ができるのも人間ですし、何より神様です。ものさし一つで世界は変わるんです。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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