神さまが共におられる神秘(30)稲川圭三

イエスさまは裁く方ではなく赦(ゆる)す方

2015年12月13日 待降節第3主日
(典礼歴C年に合わせ3年前の説教の再録)
その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる
ルカ3:10~18

今日は待降節第3主日を迎えています。祭壇の前にあるアドベントの蝋燭(ろうそく)は3本目まで灯が点(つ)いています。来週になると4本目に灯が点き、その週のうちに「主の降誕」、クリスマスがやって来ることになっています。

洗礼者ヨハネは、「自分は救い主なんかじゃない」、「わたしよりも優れた方が来られる」(ルカ3:16)と教えました。また、自分の後から来られる方は厳しく裁く方だと考えていました。そして、「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」と言いました(同)。

「聖霊」という言葉は、もともとのギリシア語では「プネウマ・ハギオン」という言葉が使われています。「プネウマ」というのは「風」「息」という意味もあるので、「聖霊と火で洗礼を授ける」とは、「風と火で洗礼を授ける」と言ってもよいと思います。

「(その方は)脱穀場を隅々まできれいにし」(17節)とあります。稲や麦などの実った穂から籾(もみ)を落とし、さらに実と籾殻(もみがら)を分ける場所を脱穀場と言います。叩いたり切ったりして籾殻をはずし、実と籾殻を分けるのです。

でも、そのままでは実と籾殻が一緒です。それを分けなければなりません。どのようにしてそれを分けたかというと、手に「箕」(み)というものを持って、それで籾殻と実の混ざったものをポーンと空中に放り上げるのです。そうすると、風が吹いて、軽い籾殻だけは飛ばされ、重い実だけが真下に落ちます。

このように「風」によってはっきり選(よ)り分けられるのです。麦は倉に入れ、殻は消えることのない「火」で焼き払われます。そういうふうに厳しく峻別(しゅんべつ)する方、厳しく裁く方が来られるとヨハネは預言したのです。

でも、後から来られたイエスさまは、厳しく裁く方ではなく、「いつくしみ」というお方。「裁く」というよりは、むしろ「赦し」というお方です。

人間の中の悪をサーチライトで照らして、「そんなに見ないで~!」と私たちが言うような目で見つめる方ではありません。私たちの中に悪いところがたくさんあるにもかかわらず、その中に神さまのいのちがあることを見てくださる方なのです。

イエスさまは一緒にいてくださる方です。「イエスさまは私と一緒にいてくださると、今日、神父さんから聞きました。私もあなたと一緒に生きるようになりたいです」ともし皆さんが言うなら、イエスさまは「喜んで一緒に生きよう!」と言ってくださいます。

イエスさまと一緒に生きるようになったら、私たちにどういうことが起こるのでしょうか。自分の周りの人の中の嫌なところ、悪いところ、駄目なところ、気に入らないところ、いじめたくなっちゃうところを見るのではなく、良いところ、すごいなと思うところ、えらいなあと思うところ、そして「神さまが一緒にいてくださる」という最高の良いところを見るいのちになっていくのです。

私が小学校2年の時、すぐ上の兄とケンカしたことがあります。うちは、姉、兄、兄、私、弟という5人兄弟です。みんな2つ違いです。

その時、お兄ちゃんがプラスチックのフィルム・ケースで作った機関車のおもちゃが目に入りました。それを地面に叩(たた)きつけて、ぶっ壊してしまおうと思ったんですね。あんまり頭にきたから。

それで機関車のおもちゃを手にしたのですが、その時ふと、お兄ちゃんが一生懸命、その汽車のおもちゃを作っている姿が頭に浮かんだのです。そうしたら、頭にきた気持ちが一瞬でなくなってしまいました。それは私にとってすごく不思議な出来事でした。本当に一瞬でなくなった。不思議だなあと思いました。

いま大人になってから考えると「あっ、あの時、『イエスさまが人を見る眼差し』をイエスさまが私に一瞬見せてくれたのかな」と思います。

イエスさまは、人の中の良いところ、とりわけ「神さまが一緒にいてくださる」という真実を見てくださるお方です。だから私たちも、「あなたと一緒に生きたいのです」とイエスさまに言えば、イエスさまは「喜んで一緒に生きましょう」と言ってくださるのです。

今日、これから幼児洗礼式になります。洗礼というのは、水を注ぐと、イエスさまの霊である聖霊が注がれます。そうすると、注がれた者の中にイエスさまのいのちが一緒に生きるようになるのです。

「私もあなたと一緒に生きます」と言うなら、間違いなくイエスさまは一緒にいてくださいます。でも、「洗礼」という恵みは、神さまが消えることのない徴(しるし)を私たちに刻んでくださるから、一人でも多くの人があずかったらいいと思います。

それでは、これから洗礼式になります。神さまのいつくしみを思って一緒にお祈りしましょう。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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