子どもを亡くした親のケア(後編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第25回

夜中の2時半、突如ポケベルで呼ばれ、赤子の突然死の中で悲しみの只中にいるお母さんのケアを依頼される。ひたすらにお母さんの悲しみに耳を傾け1時間が経った。赤ちゃんの手形や、足形をとり、手編みのニット帽やケープを着せ、最後の時間を過ごすメモリーメイキングを行った。だがこのようなことで目の前の悲劇、現実を受け止めることなどできるはずがない。それでも、さらに厳しい現実が待っている。赤子の突然死の場合、法律として検視の調査のため赤ちゃんを病院側に渡さなくてはいけないのだ。そればかりか、その後、事件性がないか警察が家に調査にも来るのだ。看護師もチャプレンも、これらの事柄がさらにお母さんを苦しめるのだ。

メイキングセレモニーを終え、看護師がこちらに視線を送ってくる。「もうすぐ赤ちゃんを検死の時間が来ます……ケアをよろしく」という合図だ。そして、その時が来てしまう。お母さんの腕の中でまだ寝ているような赤ちゃんを、検査士に渡さなくてはいけないのだ。頭では理解しようとしているが、心がそんなことを受け止められるはずがない。お母さんは何度も赤ちゃんを預けようと腕を伸ばすが、その都度、もう一度我が子をその腕に抱き戻すのだ。

看護師が言う。「私たちは赤ちゃんを大切に扱います。そのことは約束します」。大声で泣きながら、お母さんは赤ちゃんを検査士に引き渡した。空っぽになってしまったお母さんの腕と手を、お母さんの了承を得て、看護師とチャプレんで握り締め、ただただそこにいた。どれだけ時間が流れたか分らない、ただただ、そこに一緒に私たちはいた。

しばらくして、お母さんの従姉妹と叔母が迎えに来た。赤ちゃんの父親は、お母さんの両親は? もっと近い肉親はいないのだろうか? こちらが知るよしもない事情があるのだろう。叔母さんが「あなた、辛いのは分かるけど、家には小さなふたりの子どもがあなたの帰りを待っているのよ。あなたがしっかりしないでどうするの!?」と、なんとか励まそうとする。

すると従姉妹が正面に立ち、「さあ、私を思いっきりハグして、私に捕まって一緒に立とう」と促す。お母さんは必死に従姉妹に捕まり、立ち上がった。叔母が車を取りに行き、必死にお母さんを抱きしめ、後ろ向きでよろけながら歩く従姉妹とお母さんを私は横から支えた。

そして3人でスクラムを組むように一歩、一歩出口へと向かっていった。そして、お母さんはなんとか車に乗り込んだ。この夜は赤ちゃんを抱きしめて、やって来たのに、帰りは赤ちゃんなしで帰らなくてはならないのだ。ことばがない……。ことばなど見つからない。

車を見送り、病室に戻ると看護師が「チャプレン、ありがとう……」と。「こちらこそ、一緒にいてくれてありがとう」と伝え、病室を後にしたのだった。

*個人情報保護のため病院の規則に従いエピソードはすべて再構成されています。

子どもを亡くした親のケア(前編) 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第24回

2025年、一時帰国時の講演などの予定
11/8(土)坊主バーライブ/トーク(四谷)
11/9(日)大師新生教会(川崎)
11/16(日)洛西キリスト教会(京都)
詳細: https://x.com/kazuhiro_sekino

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