北アイルランド紛争を背景とする、滋味深く薫り高いガン・アクション映画が現れた。1974年アイルランド海岸沿いの僻村グレン・コルム・キルを舞台とする物語は、第二次世界大戦時に妻を失い殺し屋となった男が、無為の日々に不毛を覚え引退を考えるも、ベルファストで無差別テロ事件を起こしたIRA(アイルランド共和軍)の関係者を殺害したことから幕を開ける。テロの主犯グループらが逃亡する冒頭部から全編にわたって、アイルランド島の絶景が目を楽しませてくれることも本作の長所の一つだ。
1920年代に独立戦争で多大な犠牲を払ったアイルランド島にあっても、英国の領有が続く北アイルランドでは少数派カトリック住民の不満が募り、1960年代後半からは武装闘争が過激化する。北アイルランド紛争とも呼ばれるこうした大文字の歴史そのものを題材とする名作映画はすでに数多いが、本作はそれら過去の名作群をも突き放す特徴を具えた、見どころの多い娯楽作品となっている。
主人公を演じるリーアム・ニーソンは、1993年に『シンドラーのリスト』主演で世界的にブレイクすると、出自であるアイルランド系の作品に多く関わる一方、50代後半からは『96時間』シリーズや『トレイン・ミッション』『フライト・ゲーム』などを通じハリウッド映画におけるアクションスター高齢俳優という特異な地位も獲得した。本作『プロフェッショナル』は、72歳となったリーアム・ニーソンのこうした履歴を集大成する娯楽映画という一面をもちながら、同時に監督制作陣やキアラン・ハインズら燻し銀の脇役俳優陣が軒並みアイルランド系で占められる質実作という側面をも併せ持つ。
この観点から重要な過去作としてはまず、1996年アイルランド出身のニール・ジョーダン監督作『マイケル・コリンズ』が挙げられる。この作品でリーアム・ニーソンが演じたマイケル・コリンズはアイルランド独立戦争の英雄だが、冒頭で描かれる1916年のイースター蜂起は失敗に終わり、首謀者らは処刑された。しかし独立運動を一気に深化させたこの悲劇の共有から描き始める『マイケル・コリンズ』は、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲得するのみならず、アイルランド制作の映画としては長らく母国で歴代興収首位の座を保持し続けた。
2006年のケン・ローチ監督作『麦の穂をゆらす風』もこの文脈では欠かせない、アイルランド独立戦争から北アイルランド紛争の過酷さまでを描く不朽の名作だ。80歳を超えてからも矍鑠として秀作を世に供し続けるケン・ローチは英国映画の名匠として、また筋金入りの左派監督として欧州を代表して久しい。マイケル・コリンズのような歴史に名を残した指導者ではなく、名もなき労働者階級の人々へ徹底してフォーカスする彼の一貫するスタイルは、『麦の穂をゆらす風』のカンヌ国際映画祭最高賞獲得により世界へ知れ渡ることになった。
したがって映画『プロフェッショナル』における登場人物らの無名性が、『麦の穂をゆらす風』の影響下に設定されたことは疑い得ない。ちなみに『プロフェッショナル』の本編中ではキーアイテムの一つとしてドストエフスキー『罪と罰』の英語訳ペーパーバックが幾度か登場し、これは映画の原題〝In the Land of Saints and Sinners〟とも通奏低音を響かせ合うが、アイルランドの自然景を背にロシア文学の古典を持ち歩く人物の姿は、『麦の穂をゆらす風』の印象的な登場人物である元機関士の壮年兵士にも重なる。
また関連する直近の傑作として、マーティン・マクドナー監督による2022年作『イニシェリン島の精霊』も忘れてはならない。アイルランド人の両親のもとロンドンに生まれ、劇作家としてキャリアを始めたマクドナーがアイルランド西岸の寒村を舞台とするリーナン三部作およびアラン諸島三部作を発表ののち、2017年に監督した映画『スリー・ビルボード』がヴェネツィア映画祭や米国アカデミー賞を席巻したあと、再び自らのルーツと向き合ったのが怪作『イニシェリン島の精霊』であった。
ブラック・コメディ仕立てで、小さなイニシェリン島内で奇妙な物語が完結する『イニシェリン島の精霊』においては、島の海岸から望めるアイルランド本島において進行する独立戦争の砲声がしばしば本編中へ幽かに流れ込み、砲煙が遠く映り込む。アイルランド現代史を無視はしないが、敢えて遠巻きに距離をとることで批評的視座を獲得する企みにも思えるこうした姿勢は『プロフェッショナル』にも通じている。なお『イニシェリン島の精霊』でしばしば主人公ふたりの間に立つある女性は、同時に閉塞する島を脱する唯一の人物としても描かれているのだが、彼女に扮したケリー・コンドンが『プロフェッショナル』ではIRA一派をまとめるリーダー役を演じている。
さて『プロフェッショナル』の主演リーアム・ニーソンへ話を戻せば、彼がスピルバーグ監督の1993年作『シンドラーのリスト』で得た知名度を自らのルーツへ結びつける戦略は明確だった。1995年にはスコットランド人のマイケル・ケイトン=ジョーンズ監督作『ロブ・ロイ/ロマンに生きた男』において、アイリッシュ・ケルト系と同根であるスコットランド・ケルト系の歴史的英雄で英国支配へ抗ったロブ・ロイを演じてもいる。一方ニール・ジョーダン監督はすでに1992年英国軍と戦うIRA兵士を描く名作『クライング・ゲーム』を撮っており、『マイケル・コリンズ』へ至る道程は万端だった。
しかし『マイケル・コリンズ』から30年の歳月を経てリーアム・ニーソンが演じる『プロフェッショナル』の老いた殺し屋は、英雄性から程遠い。ただ個人的な事情により依頼を引き受け、人知れず暗殺するくり返しに疲れた彼は殺し屋稼業からの引退を決意するが、彼自身の感情的反応ともいえる発奮によりIRAの若者らに命を狙われる羽目となる。そのIRA側も本来の政治信条からはかけ離れ、ひたすら私怨によって動く愚連隊と化す姿が描かれる。かつてアイルランド島を覆った紛争の暗雲から数十年を経た今日ロバート・ローレンツ監督が焦点化するのは、そうして戦争や紛争からテロ行為まで暴力闘争が各々に訴える大義の虚構と無惨な実態であり、そこにウクライナやパレスチナを始めとする今日の情勢に対する、失望にも似た鋭い皮肉と風刺が潜むことは言うまでもない。
独立戦争の英雄を描いた『マイケル・コリンズ』も、名もなき労働者へ焦点化した『麦の穂をゆらす風』も、歴史のうねりを真に受ける深刻さ、つまりはその生真面目さの発露において、戯画化され既存秩序を裏返すことだけを使命と自覚するかのような昨今の米国トランプ政権や、中近世へ立ち還ったかのような領土的欲望を露わにする権威主義国家群を前にしては、決定的に今日性を欠いて映る。『プロフェッショナル』の最終盤、リーアム・ニーソン演じる主人公とケリー・コンドン扮するIRA側リーダーは他に誰もいないカトリック教会堂の主廊部で直に向き合う。他に誰もいないといま書いたが、いる。神の視線、すなわち救いの主題がここで不意に姿を覗かせる。そう、あらゆる事象が日に日に高速化を遂げ、人心が益々落ち着きを失くしゆく時代にあってはとりわけ魂の孤立こそが一層根深く、真に今日的な問題なのだ。
(ライター 藤本徹)
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『プロフェッショナル』“In the Land of Saints and Sinners”
公式サイト:https://professional-movie.jp/
2025年4月11日(金)TOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
配給:AMGエンタテインメント
【関連過去記事】
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『プロフェッショナル』🇮🇪In the Land of Saints and Sinners
かつて北アイルランド紛争を戦った老闘士が、IRA愚連隊との対決を迫られる。
🇮🇪独立戦争の英雄演じる“マイケル・コリンズ”で世に出たリーアム・ニーソン入魂作。全編絶景眼福、“ベルファスト”のキアラン・ハインズら🇮🇪名優陣が魅了する。 https://t.co/GZdwIyOttJ pic.twitter.com/VbpO9mJIkY
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『ベルファスト』🇬🇧
北アイルランドの町ベルファスト。
人情に厚い路地のコミュニティが、プロテスタント過激派の暴動が起きた日から一挙に分断、変貌しゆく。
品格と技巧のケネス・ブラナー監督による半自伝作。ベルファスト出身者を含む名優らの競演と、質実に研ぎ澄まされた構図の逐一で魅せる。 pic.twitter.com/la7Oav4L4q
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『イニシェリン島の精霊』🇮🇪
狭い孤島で起こる、ある友情の奇妙なゆくえ。
黒ビールと絶景を仲立ちに、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンが熱演する。アイリッシュ系のマーティン・マクドナー監督(スリー・ビルボード)が、母国の独立戦争をも相対化し人間を慈しむ。https://t.co/52r60hPHHT pic.twitter.com/4PrIPsvshl
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『スリー・ビルボード』
娘を殺した犯人が未逮捕であることへの母の抗議を軸に、さびれた田舎町の閉塞社会を丸ごとスクリーンに映し出し、現代世界を覆う不寛容全体の風刺へ到る。劇作家でもあるマーティン・マクドナーの脚本がとにかく密で、多重性ある難役に応える名優たちも逐一見事。圧巻の秀作。 pic.twitter.com/bviVbi69UC— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) February 1, 2018
『探偵マーロウ』👞
1930年代LAに事務所を構える腕利き探偵の、沈着にして優雅なる事件解決。🚬
マイケル・コリンズ等に続くニール・ジョーダン監督&リーアム翁🇨🇮タッグ3作目は、レイモンド・チャンドラー小説の流麗さを損なわずにノワール映画化、渋く魅せる。
チョイ役アラン・カミングもイカす。 https://t.co/GZdwIyP1jh pic.twitter.com/diIvdJ8qo7
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) June 13, 2023
🥈『家族を想うとき』
極私的にド嵌りした『麦の穂をゆらす風』でアイルランド独立戦争を描き、69歳で初のカンヌ・パルムドールに輝いたケン・ローチ監督。その後の『わたしは、ダニエル・ブレイク』への飛翔、更に“引退”後83歳でこの最高傑作を世に問う勇猛さ。老将は死なず。https://t.co/RPjvS3uQH9— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) January 22, 2020
『ボーダーランズ』でケイト・ブランシェットが利かせるキップの良さは、🇮🇪で凶弾に斃れた反骨記者を演じる『ヴェロニカ・ゲリン』(2003)を彷彿とさせる。遠い処まで来たもんだ。
オファーを受け初めてBorderlandsを知りゲームもプレイしてみたらしい。出演理由気になる。(続https://t.co/fen7AfluYF pic.twitter.com/gKVumDb1xp
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) January 25, 2025