主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、マタイの福音書の27章です。よろしくどうぞ。
マタイの福音書 16章23節
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
イエスは弟子たちに「僕はこの先、エルサレムに行って、ひどい目にあって、殺されて、それで三日目に復活しなきゃいけないんだ」と伝えました。それを聞いたペテロが驚いて「いやいやいやありえない!そんなことあるはずがないですよー!」と言いました。そこでイエスが「引き下がれサタン!」とペテロを叱りつけた、というのが今日の聖書の引用です。
そのときのイエスの一行の勢いには、今で言えば新進気鋭、右肩上がりのベンチャー企業みたいな勢いがありました。しかしその社長がある日突然「僕はこれから逮捕されて、それで死刑になるよ」なんて言い出しだらどうでしょう?社員は誰もが驚くでしょうし「そんなことあり得ないですよ!」と言うでしょう。「あなたが逮捕されるわけないですよ!」と言うでしょう。無理もないことです。
ですからペテロが驚いて「ありえない」と言ったのもまた無理のないことです。でもイエスは叱りました。世の価値観、人間の価値観と神の価値観はまったくちがうんです。人間の価値観で「ありえない」ことでも、神の価値観なら「十分にありえる」ことなんです。それを「ありえない」と言ってしまうことは、神様の可能性を人間の可能性の範囲内に閉じ込めることです。
子どもにとって大人は「ありえない」ことを起こす存在です。たとえば生米をごはんに変えるということ。小麦粉をパンに変えるということ。大人にとっては何の不思議もありませんが、子どもにとっては不思議なことです。それと同じように、人間と神様には「ありえない」に差があるんです。大人は子どもには「ありえない」ことができるからこそ、子どもを愛し、守ることができます。神様も人間には「ありえない」ことができるからこそ、人間を愛し、守ることができるんです。
・・・しかし、とはいえ「引き下がれサタン!」はちょっと言いすぎな気もしますよイエス様。ちょっとペテロが気の毒です。子どもが「この粉がパンになるわけないじゃーん」って無邪気に言った時に「まだそんなことを言ってるのか、ばっかもーーーーん!!」と叱るようなものじゃないですかイエス様。でもたぶんこのとき、イエス様は自分自身にも檄を入れていたんでしょうね。「逮捕されたくない、痛い思いもしたくない。まして殺されたくなんてない。そんなことはあって欲しくない」という人間としての気持ちを、自ら押さえつけるために「引き下がれサタン」と強い言葉を使ったのかと思います。
また今年も僕たちはクリスマスを迎えました。「ありえない」ことが神様によってなされたことを喜ぶ日です。人間の「ありえない」を基準にしたらクリスマスなんて存在しなかったんです。救い主イエスの与えてくださったあらゆる奇跡と愛に、改めて感謝したいと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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