主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の114篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 114篇5〜6節
どうしたことか。海よ お前が逃げ去るとは。
ヨルダン川よ お前が引き返すとは。
山々よ なぜお前は雄羊のように跳ねるのか。
丘よ なぜ子羊のように跳ねるのか。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ものすごくダイナミックな詩ですよね。海がどこかに逃げ出して、大河が逆流を始め、山や丘が跳ね回る・・・この世の終わりかと思うほどの光景です。
でも神様がその気になれば、このくらいのことはいとも簡単に起こせてしまうんだぞ!というのが、この詩のメッセージなのかと思います。人間にはとても信じられないことを起こしてでも、全力で君たちを愛し、守るぞ!というメッセージなのかと思います。
人間はなかなか「ありえない」の壁を越えられないものです。海が逃げ出すとか川が逆流するなんてスケールまでいかなくても、様々なことに「これはありえない」「これもありえない」と自分の小さな脳みそと少ない経験の枠の中で決めつけて、多くの可能性を排除してしまいます。それがたとえ幸せに至る未知だとしても「そんなことはありえない」と拒否してしまいます。ノアが方舟で救われたと言っても「ありえない」、モーセが海を割ったと言っても「ありえない」、マリアが処女懐胎したと言っても「ありえない」、イエスが復活したと言っても「ありえない」・・・なんともったいないことでしょう。
人間が思っているよりも、はるかに多くのことが実は「ありえる」んです。たぶん、普通に脳みそと経験で考えて「ありえない」ことの大半は「ありえる」んです。
MLBでイチロー選手が262本のヒットを打つことだって「ありえない」と言われていましたし、大谷選手が「50-50」を達成することだって「ありえない」と言われていたんです。イチロー選手も大谷選手も、どちらも人間です。人間が「ありえない」ことを起こせるのに、まして神様が「ありえない」ことを起こせないはずがありません。なのに多くの人は神様の力を過小評価して「神様が助けてくれるなんてありえない」「神様が僕らを愛しているなんてありえない」「神様が世界をつくったなんてありえない」・・・と、神様を「何もできない存在」まで小さくしてしまおうとしています。それはまさに悪魔の思うツボです。悪魔は人間をそそのかし、人間自身の力を過大評価させ、神様の力を過小評価させるのをライフワークにしています。
自分自身の力は「自分を信じろ!」「なせばなる!」「不可能なんてない!」と言うのに、神様の力は「信じたらバカをみる」「なにも起こらない」「何をしてくれるのさ?」と冷笑するのは、自分を過小評価しろとも言いませんけれども、少なくともバランスの取れた姿勢とは言えないように思います。
「あらゆる可能性を信じる」のであれば、神様の可能性も信じた方がきっと幸せです。まちがいなく幸せです。世界のあらゆる可能性を人間の「ありえない」に閉じ込めてしまってはいけません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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