誰かと知り合ったすぐの頃、わたしたちはその人の仕事を知りたいと思う。それはなぜだろうか? 「どんな仕事をしているのですか?」と、わたしたちが何時も尋ねたいと思うのはなぜだろうか。「どんな仕事をしているのですか」と尋ねるのは、実際に、親交を深めるための定番の質問である。それは次の理由からだ。職業・業績・仕事というものを語ることで、二つのことが可能になる。 ―― その「二つのこと」は、通常、同時に起こる。
まず、仕事はわたしたち自身の本質のようなものを明らかにしてくれる。 ―― 仕事によって、わたしたちの価値が表現される。わたしたちの道徳性が明確に表される。人間存在、つまり「神の像」として創造された存在とはどいうことなのかを、実際に示すことが出来る。
また、同時に、仕事はわたしたちの本当のアイデンティティーを隠してくれる。仕事によって、人に見てもらいたい自分の姿・人に信じ込ませたい自分の姿を表現できる。広告のように自分を最前線に出すことが出来るのも、それが仕事なのである。しかし、実際には、そのことを自分の中で一度も気に留めることはなかったのである。
上記の二つの事柄が、「仕事」を語ることによって、混ざり合いながら起こる。「隠れてものを明らかにすること・表現すること」と「隠すこと・逸らすこと」である。誰かと知り合いになる時、わたしたちは、その人の仕事を知りたいと思うのだが、その時、わたしたちは「その人の仕事」がその人自身を仕事の中か背後に隠してしまうのか、あるいは、その人自身の性格を正直に表してくれるのかを知りたいと思うのだ。
勤勉な者は仕事の中に自由を得る。
怠る者は仕事に押しつぶされる。
―― 箴言12章24節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。