神の油注ぎを受けて、ダビデは聖別されて仕事を始める仲間入りをした。ダビデは油注がれる前までは、羊飼いとして働いていた。「羊飼いの仕事」は、福音書のあちらこちらに繋がる背景や隠喩を提供する。しかし今や、ダビデの仕事は「神が任命した仕事」あるいは「神によって定められた仕事」であることが明確になった。ダビデが手掛ける仕事の全てが、今や、「王の職務」となった。
わたしはこの「王の職務」という言葉を「真実の仕事」の全てを指し示すものとして使いたい。「真実の仕事」には、必ず尊厳が伴う。そのような尊厳への注意を喚起するために、実に、わたしたちの仕事は「神の御業と共に行われる仕事」という意味で「真実の仕事」なのである。全ての現実の仕事・真摯な仕事は、この「王の職務」に含まれる。この「王の職務」という用語を使うことで、わたしは「真実の仕事」と偽りの仕事・まやかしの仕事を区別したい。 ―― 実に、「仕事」の中には、破壊と欺きに満ちたものがあるからだ。ある目的のためにエネルギーが注がれたとしても、それだけで「仕事」にはならない。
「仕事」とは、絶対的な神から来るもので、主権者である神を表すものである。実に神こそが「仕事」の主体としてのご自身の絶対的な主権を示している。「絶対的な主権者」は混沌から秩序を生み出し、物や人々を守るために戦う。不正義・不運・邪悪の犠牲者たちを救い解放する。非難され呪われた人々に赦しを授ける。病気を癒す。「絶対的な主権者」と呼ばれる存在は、まさにその臨在によって、領民や領地に尊厳と名誉を付与する。「絶対的な主権性」は抽象概念ではない。それは「働く絶対的主権」であり、「仕事の中に表れてくる絶対的主権性」である。この「絶対的主権性」の延長上に、わたしたちの「仕事」の全てがある。
「……神の御業に参与するために、わたしは何をしたらいいのだろうか?」
イエスは言った。「あなたの運を、神が遣わされた方に賭けてみなさい。そのようにして自分を献身する時、あなたは自分自身が神の御業の中に位置づけられていることに気づくだろう。」
―― ヨハネによる福音書6章28~29節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。