9月30日「友人同士の意図的な集い」

 人を祈りに招くために祈る人々がいる。友人同士の意図的な集いや、互いに傾聴し学び合う集会を企画する人がいる。あるいは電話をかけたり、手紙を書く人もいる。そのような人々は誰かを祈りへと導こうとする祈りの人である。わたしはそのような人をいつも励ましている。

 初代教会のクリスチャンたちは極めて快活で喜びに溢れた集会を持っていたのである。彼らは会話し食事をするように、自然と祈りをそこで会得したのである。
 

わたしたちの滞在期間が終わった時、人々は町の中からわたしたちを船着き場に連れて行ってくれた。誰もかれも、ついて来てくれた。男も、女も、子どももいた。よい機会だ、ということで、わたしたちは送別会をもったのだった! わたしたちは浜辺に跪(ひざまず)き祈りをささげた。そして互いに別れの挨拶をしてから、わたしたちは船に乗り込み、人々は自分の家に戻って行った。
 ―― 使徒言行録21章5~6節

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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