自由学園・婦人之友社 創立者・羽仁もと子の生涯に思い馳せ 『じょっぱりの人』出版記念講演会

自由学園および婦人之友社を創立した羽仁もと子(1873~ 1957年)の伝記『じょっぱりの人――羽仁もと子とその時代』が婦人之友社より刊行された。その刊行日である4月23日、著者の作家・森まゆみ氏による出版記念講演会&サイン会が自由学園明日館講堂(東京都豊島区)で開催された。会場には全国から110人が集まり、同書をとおして森氏が語るもと子の生涯に思いを馳せた。

『じょっぱりの人――羽仁もと子とその時代』は、月刊誌「婦人之友」での連載に加筆したもので432ページの大作だ。「じょっぱり」とは、信じたことをやり通す強さを表す津軽の言葉。青森県八戸に生まれたもと子は、その言葉が示すとおり、自分がこうだと決めたことは必ずできると信じて、明治・大正・昭和にわたる激動の時代を駆け抜けていった。森氏はその姿を「猪突猛進」という言葉で表現し、これまで知られていなかったエピソードとともに出版や教育の事業家としても活躍した足跡をたどった。

「等身大」のもと子を描く
寸分も休まない勤勉さに敬意

もと子のことは、自由学園を創設したことと、初期の女性ジャーナリストということくらいしか知らなかったと明かす森氏。「取材を重ねていくうちに、その偉大さに圧倒されました。それでも、カリスマ化せずに等身大のもと子を書くことができたのは、私が『外』の人間だったからかなと思います」と述べ、「こんなに面白い人生なのにこれまで伝記が出版されてこなかったのが不思議だ」と語った。

森氏が考えるもと子の利点は、「分からないと納得しない、自分が納得しないと分かったと言えない」こと。また、もと子は不器用さを一生手放さなかった。得意なことだけやって生きていくのではなく、不得意なことも「なぜ、できないのか?」と突き詰めて考えるタイプだった。実は家事も不得意で、「婦人之友」という雑誌が成功したのは、不器用な人がどうやったらできるようになるのか徹底的に考えたところにあると指摘した。

「猪突猛進」の性格は、キリスト教信仰にも影響している。1889年に祖父と一緒に上京したもと子は、東京府高等女学校(現都立白鴎高校)に入学し、学校の近くにあった築地明石町の教会に通い始めた。「そこはまたその頃の私にとって、驚くべき新世界だった」という感想が同校の資料に残っている。当時の日曜学校の先生が、のちの日本キリスト教矯風会幹部の塩田千勢子で、もと子は、八戸の誰にも相談せずに自分の判断で洗礼を受けている。当時17歳。「キリスト教というものに出会って、神の愛や、隣人を助けるということが内在していったことが、のちの彼女の活動に大きな影
響を与えたことは間違いない」と話した。

もと子の足どりをたどっていくと、必要な時に必要を満たしてくれる人たちに出会っていることが分かる。そこに「求めよ、そうすれば与えられる」という聖書の言葉が加わり、もと子は自分が決めた道をどんどん切り拓いていく。24歳で誰からの紹介もなく自力で報知新聞に入り、新聞記者となるが、そこで知り合った羽仁吉一との結婚を機に退職し、2人で「婦人之友」の前身となる「家庭之友」を創刊する。続いて「家計簿」を創案・出版し、その2年後に「主婦日記」を出版した後、35歳で「婦人之友」を創刊している。そのほかにも「子供之友」「新少女」といった雑誌も創刊している。後々に見られるもと子の人脈の広さは、このころの編集の仕事が大いに影響していると森氏は自身の経験から述べた。

「自由学園」を創立したのは48歳。森氏は羽仁吉一氏にも言及する。「うらやましいと思うのは、パートナーが『こういうことをやろう』と言うと、『いいじゃないか、やろう』と応援してくれること」だと述べ、もと子の発想力と行動力を経営面でしっかり支えていたことを明かした。自由学園の設計をフランク・ロイド・ライトに依頼したのも吉一氏だという。ロイドが自由学園をこよなく愛し、癒やしの場としていたことも語られた。

もと子が目指した教育は、その人の能力を伸ばすような教育。そのために自分たちが持っているものをすべて捧げることを厭わなかった。教育方針のユニークさは、関東大震災時にも現れている。他の学校が休校もしくは生徒を外に出さないようにする中、もと子は「これこそ生徒たちが勉強をする絶好の場所」と考え、本郷区(現在の江東区)へ救援に向かわせているのだ。また、1930年には、「婦人之友」愛読者の会とし「全国友の会」が誕生している。もと子は、「婦人之友」愛読者たちによって、この世の中を変えていけないかと考えていた。そこにあるのは、共同・共有・相互扶助の考え方だった。

森氏は、もと子の活動は次の活動にいつもつながっていたとその寸分も休まない勤勉さに敬意を示した。その一方で、一億総中流時代が終わり、格差が広がる今、働くことの意識も変わりつつある若い人たちにとって、もと子の考えはどう受け止められるだろうかと思案の顔ものぞかせて講演を締めくくった。

大阪から参加したという自由学園の卒業生は、「雑誌で連載は読んでいたが、本になったものを読むのが楽しみ」と感想を語った。

この記事もおすすめ