主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、雅歌の6章です。よろしくどうぞ。
テモテへの手紙第二 4章 6章3〜4節
人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
本を書くときも、このコラムを書くときも、耳あたりの良いことを書く方が楽です。しかもその方がよく読まれたり、売れたりします。出版社や編集者からも耳あたりのいい文章の方がGOサインが出やすくもあります。耳あたりの悪いことを書くのは骨が折れますし、書いていても楽しくないですし、しかも売れないですし、そもそも出版できなかったりします。
それはつまり、人々が、社会が、耳あたりの良い言葉を求めているということです。
社会の需要に応えることは大切なことです。それはキリスト教の伝道であってもある程度までは大切かと思います。人のニーズに応えることなしに、自分のメッセージは聴いてもらえません。イエス様だって、「癒し」という一種のニーズに応えたとも言えます。
とはいえだからと言って、イエス様が癒しの奇跡ばかりを行なって、福音を伝えなかったらどうなったでしょう。キリスト教はこの世に存在しなかったでしょう。イエス様はただの「不思議な名医」で終わってしまったことでしょう。僕たちもまた、聖書について、耳あたりのいいことばかりを書いたり語ったりしていては、ただの「癒し系ライター」になってしまいます。まして、耳あたりを良くするために聖書の解釈を変えてしまったりしては、まさにこの手紙に書かれているように、「作り話にそれて行く」ことになってしまいます。
いくら子どもが欲しがったり喜んだりするからと言って、甘いお菓子ばかりを与えるのでは、親は務めを果たしているとは言えません。ピーマンやニンジンだって食べさせなければいけませんし、時には苦い薬だって飲ませなくてはいけません。それが本当の愛情です。
現代社会は「1億総子ども化」いや、「70億総子ども化」していると言えるかもしれません。一人一人が、受け取る情報をカスタマイズできる時代になりましたから。自分にとって心地よい、都合の良い情報ばかりを手に入れることができるようになりましたし、それをとがめる人もあまりいません。だから発信者側も、心地よい「選ばれる情報」を出さなくてはいけなくなりました。
「あなたは今のままでいい」というのは簡単ですし、耳あたりは良いでしょう。しかし聖書のメッセージは「あなたは今のままではまずいぞ」なんです。「あなたは罪人だぞ。無力だぞ。だからそのままではまずいぞ」というのが、神様が人間に聖書を与えた大きな理由の一つです。つまりすごく耳あたりが悪いんです。耳を背けたくなるんです。
聖書に限らず、僕たちには、つまり僕も含めてですけれど、もう少し「今のままではまずいぞ」という耳あたりの悪いメッセージが必要なのかと思います。だからと言って昨今のマスコミさんのように「このままだと貧しくなるぞ」「このままだと不幸になるぞ」と、いたずらに不安を煽るようなことは決して好ましくはないですが、とはいえ人間は生きている限り「今のままでいい」ということはあり得ないんです。そもそも「今のままでいる」ということができないのが、生きるということの宿命ですから。人は生きている限り、必ず変化し続けます。どうせ変化するのなら「良く」変化した方がいいに決まっています。そして「良く」変化するためには、適量の「耳あたりの悪い言葉」が必要なのだと思います。
少しずつでも、苦いものを食べられるようになるのが子どもの成長です。それは大人になっても同じことなんです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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