Q.初めて教会に行くと名前や住所などの個人情報を書かされるのはなぜですか?(20代・女性)
教会にはさまざまな人が来ます。すべての方の顔と名前を覚えていられるといいのですが、それは無理なので書き残してもらうのです。住所を書いてもらうのは、教会のイベント案内の送付や、「お元気でお過ごしですか」という気遣いをお伝えしたいからです。
関心のある方の名前を知りたいという気持ちは自然なものです。個人情報を収集するというより、「愛したい」のです。マルチン・ブーバーという哲学者は、人間関係は「私とあなた」か「私とそれ」かの2種類だと言っています。雑踏の中ですれ違うだけの人は「それ」の関係ですが、向き合いたい「あなた」だから名前を知りたいのです。自分の名前を呼ばれると嬉しい気持ちになります。「あなたにはこの世に存在する意味がある」、「あなたはあなたのままでいい」というような響きが感じられるからです。
しかし、「名前を呼ばれたくない」と思う方もいるでしょう。そのままを伝えていいのです。無理強いはされません。「自分を閉じていたい」という思いが強いときだって、私たちにはあります。心の深い所に自分に自信が持てなくて不安もあるかもしれません。それもありです。
聖書の中に「取税人ザアカイ」の話が出てきます。ザアカイは人から嫌われ寂しさを抱えていました。背が低かった彼はイエスを何とか見ようといちじく桑の木に登りましたが、イエスは彼を認めて「ザアカイ」と名前を呼ばれました。どうして自分の名前を知っているのか、どうして群衆の中の「それ」に過ぎない者を名前で呼んでくれたのか、ザアカイは驚き感動したことでしょう。「ザアカイ。急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」。「あなた」と呼びかけ、心の奥深い所に一緒に降り、心の中に宿ってくださる主イエスの恵みを、教会の人は来会者のために祈っているのです。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
もり・まゆみ 臨床心理士、スクールカウンセラー。大学で聖書神学を学んだ後、英国留学、私立中高聖書教員等を経て臨床心理学を学ぶ。これまで主に教育分野でカウンセラーとしての経験を積む。クリスチャン·メンタルケアのあり様を模索している。