主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ヨシュア記の3章です。よろしくどうぞ。
ヨシュア記 3章9節
ヨシュアはイスラエルの子らに言った。「ここに来て、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
新型コロナウイルスはまだ世にうようよと飛び回っていて、時々僕たちを苦しめることはありますが「コロナ禍は終わった」と言い切ってしまっても過言ではない時代になりました。コロナ禍と言うのは世に様々な悪影響を与えましたが、中には「これはよかったんじゃないか」と思えるような影響もありました。その筆頭とも言えるのは様々なことがオンラインやリモートで行えるようになったことではないでしょうか。ZoomやらTeamsやらのオンラインツールが充実し、もはやそれらを使いこなさなくては仕事に支障がでるほどです。そして多くの教会でオンライン礼拝が行われるようになりました。わざわざ教会まで足を運ばなくても礼拝のメッセージを聴ける時代になりました。
しかしヨシュアは「ここにきて主のことばを聞きなさい。」と言っています。「ここにきて」です。もちろんヨシュアの時代にはzoomもYouTubeもありません。カセットテープさえありません。ですからことばを聞くためには「ここにきて」の必要がどうしてもあったわけです。ですからこれは現代社会には当てはまらないことばかもしれません。とはいえしかし、やっぱり「ここにきて」聞くということにはそれなりの意味があるようにも思えます。
もちろん病気や怪我で動けなかったり、近くに教会がなかったり、様々な理由で「ここにきて」礼拝ができない方もたくさんいます。オンライン礼拝はそういった方々に礼拝する機会を提供できるのですから有益なものです。とはいえしかし、できるならばできるだけ、僕は「ここにきて」、つまり教会に足を運んで礼拝したいと思うんです。たしかにこれまで教会に来たことがない、礼拝に参加したことがないノンクリスチャンの方にも、オンライン礼拝は「はじめての教会」「はじめての礼拝」のハードルを大きく下げてくれるものです。とはいえしかし、できるならばできるだけ、やっぱり物理的に教会に足を運んで欲しいと僕は思うんです。
だって音楽を聴くのだって今ではYouTubeでだってライブ映像を見ることはできますけれど、やっぱり本当に会場に足を運んで聴くのとでは大違いです。僕はときどき寄席に行って落語を聴いたりもするのですけれど、それだってYouTubeやCDで聴くのと寄席で聴くのとでは面白さが段違いだからです。僕が本格的にプロレスファンになったのだって、テレビや動画を見たからではなく、東京ドームのアリーナ席で試合を見てその迫力に心を持っていかれたからです。
いえ別にオンライン礼拝を否定しているわけではありません。それを実施している教会を批判しているわけではありません。僕が言いたいのは単に「やっぱり生はいいぞ!」ということだけです。音楽だって落語だってプロレスだって、そして礼拝だってやっぱり生はいいんです。
人と会うのだってオンラインよりもやっぱり生で会う方がいいですしね。「同じ空気を吸う」ってやっぱりとても大切なコミュニケーションです。神様と会うのだってそれと同じようにやっぱり生の方が充実した時間とか、良い思い出とかになるものです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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