主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、
今日は 旧約聖書、サムエル記第二の15章です。よろしくどうぞ。
サムエル記第二 15章4節
さらにアブサロムは、「だれか私をこの国のさばき人に立ててくれないだろうか。訴えや申し出のある人がみな、私のところに来て、私がその訴えを正しくさばくのだが」と言っていた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
アブサロムはダビデ王の息子ですが、ダビデ王に対して謀反を企てた人物です。彼はダビデ王のところにやってくる様々な訴えを、ダビデ王に伝えず「王は君の訴えなんて聞いてくれないよ」と追い返し、王の評判を下げていました。そうやって王から民心を引き離しておいてから、謀反を起こして自分が王の座につこうと画策していたんです。
どんな役職についてでも、それを「やりたがる」人には注意しなくてはいけません。もちろん、純粋な気持ちでその役職に身を捧げたいと思っている人もいるでしょうが、中には何かしらの野心を抱いている人や、自分を過大評価している人も少なくないものです。アブサロムはそのどちらも抱いています。「自分がこの国の訴えをすべてさばき、権力を得るのだ」という野心と、「自分ならダビデ王よりももっとうまくやれる」という自己評価です。
しかし聖書全体を通じて、神様が「やりたがる」人を用いた例はありません。ダビデ王だって「イスラエル王に、俺はなる!」と自分からその地位を目指して王になったわけではなく、自分ではまったく予想外の顛末をもって神様から王に任命されました。モーセだって「私がイスラエルの民を導くのだ!」と自分から指導者の立場になったのではなく、むしろ「私には無理です神様、他の人にしてください」と固辞し続けてなお「いや、君だ」という神様の意思に押し通されて指導者になりました。新約聖書の使徒たちだって誰も「私を使徒にしてください!」なんて言っていません。「やりたがる」人の野心と自己への過大評価を神様はしっかりとお見通しなんです。
僕たちもまた何かにつけて「自分ならもっとうまくやれるのに」とか「自分にやらせてくれればいいのに」なんて思うことがありますが、そんな時にはよく気をつけないといけません。これは自分の野心ではないのか。自分は自分を過大評価していないか。だいたいどんな仕事も、外から見るよりも実際にやってみると予想以上に大変で難儀なものです。「自分ならもっとうまくやれる」と思っていたことが、実際にやってみたらまったくできない、なんてことも多々あります。
特に教会での奉仕には気をつけないといけません。「この奉仕をやりたいです。やらせてください」というのは積極的で良い姿勢にも見えますし本当に純粋に良い姿勢であることもあるでしょうが、往々にしてそこには自己実現欲求や承認欲求、自信過剰が含まれていたりします。たとえば特に音楽の奉仕は自分からやりたがる人も多いものですが、それを希望する人をよくよく観察してみると、実は自分が演奏する「ステージ」を求めているだけだったりもします。教会というのは自分のやりたいことを実現する場ではありません。神様の実現したいことを実現する場です。「自己実現」の場ではなく、「神実現」の場なんです。僕も近頃では少なくなりましたが、ときどき教会で音楽の奉仕をすることがあります。そんな時には本当に気をつけていないと「自己実現」の心が頭をもたげてきます。それを自覚して、音楽の奉仕を頼まれても一切お断りしていた時期もあったくらいです。
何かを「やってみたい」と手を挙げるときこそ、自分の心を今一度吟味して、余計な雑念を振り払う必要があるんです。「やりたい」という気持ちから「自己実現」と「自信」を引き算して、それで何が残るのか。そう考えたとき、自ずと「やりたい」は「やれるだろうか」に変わることでしょう。でもそれでちょうど良いんです。どんな仕事だって「やれるだろうか」という不安がない方がおかしいんです。その不安の部分こそ、神様が働いてくださる余地なんですから、それは空けておかなくてはいけません。「やりたい。自分ならやれる」これは大いなる危険信号です。
だって、政治家さんなんてみんな自分で立候補して「やりたいです!私ならもっとうまくやれます!」と叫び続けているじゃないですか。でも蓋をあけてみれば「あー、えー、うー、ぐだぐだぐだぐだ」と何も進みません。野心と自信が強すぎるんだと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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