主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
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聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、マタイの福音書の3章です。よろしくどうぞ。
マタイの福音書 3章11節
汚れた霊どもは、イエスを見るたびに御前にひれ伏して「あなたは神の子です」と叫んだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「汚れた霊」とか「悪霊」というのが聖書にはちょこちょこ出てきますが、これは日本人が一般的にイメージする「霊」とはちょっと違うものです。日本人は「霊」というと「
幽霊」みたいなもの、死んでしまった人の魂みたいなものを想像することが多いですし、「悪霊」というと恨みを残してこの世を去った人の祟りのようなものをイメージします。しかし聖書でいう「悪霊」というのは「悪魔の子分」のことです。悪魔の大親玉、サタンの部下たちのことを指します。死んだ人とは基本的に関係ないんです。
そしてこれも日本人によくある勘違いですが、「神vs悪魔」と、神と悪魔は対等に対立するものと考えてしまいがちです。しかし聖書を読むとそれは違うとわかります。悪魔はあくまでも神様の部下なんです。ですから悪魔であっても神様に逆らうことはできません。そんなわけでこのシーンでも悪霊たちは神であるイエス様にひれ伏すんです。
たとえて言えば、神様を社長だとしたら、サタンは部長、しかも会社に所属しながら内心で社長を裏切って虎視眈々と自分が社長の椅子を奪い取る機会を狙っている腹黒い部長、悪霊たちはその部長の一派みたいな感じです。いわゆる「面従腹背」というやつですね。ですから彼らも社長の命令や威光には逆らえません。社長の見ていないところでコソコソと自分たちの一派を増やす活動をするしかできません。その暗躍を社長に見つかったら「すみませんでした!」と謝るしかないんです。
悪魔や悪霊たちは人の世で自分たちの一派を増やそうと活動しますから、イエス様、つまり神様自身、つまり社長自身が人の世に降りてきて自分たちを取り締まるなんてことになって、大混乱に陥ったわけです。徳川将軍が町に繰り出して悪を成敗する『暴れん坊将軍』にも似ているかもしれません。『暴れん坊将軍』に登場する悪代官や悪奉行たちも、基本的に将軍の威光に逆らうことはできず、将軍を前にすれば「ははーーっ」とひれ伏すしかありません。まぁあのドラマではその後で「構わぬ、斬れ!斬りすてい!」と将軍様に襲いかかるのが定番の展開ではありますが。
イエス様は『暴れん坊将軍』と覚えておくと、ちょっとだけ理解がしやすくなりますし、ちょっとだけ親しみも湧くのではないでしょうか。もちろん神様と将軍様は違うものですから、何から何までその通り、というわけには行きませんけれど、何となくの構造をつかむにはわかりやすいかなーなんて思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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